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今回の一押しは「享年調べ」だあ!

2005年01月17日

 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。昨年中はこの駄文コーナーに何度もお付き合い下さり、誠にありがとうございました。本年も引き続きご愛顧下されば大変うれしく思います。

 さて、皆様はどのようなお正月を過ごされましたか。帰省された方、旅行された方、寝てた方、飲みまくった方、人それぞれのお正月だったと思いますが、わたくしの場合は、自分の経験としてはかつてない、ちょっと変わった過ごし方をしておりました。

 というのは、あまりカッコいい話ではないのですが、元旦からずーっとパソコンに向かって毎日原稿書きをしていたのです。それもこれもみんな黒井さんと横田さんと槌谷さんのお陰です。
 このお三方はそれぞれ別々に出版編集のお仕事をされており、こう言えば察しがつくと思いますが、ありがたいことに年明けの締め切りで私めにお仕事を下さったのです。私のことに想いを致せば、まさかご本人は正月に旅行や帰省でどんちゃん騒ぎなんかしていないと思いますが(特に黒井さん(笑))、この不景気な時代に本当にありがたいことです。でも来年はイヤ。あ、うそうそ。うそですから。

 さてさて。私の事務所は、見た目はそうでもないのですが実は結構古い建物で、冷暖房設備も今どきの個別空調ではなく、スイッチを入れるとフロアごと暖まってしまいます。100坪以上ある1フロアを自分一人のために暖めるのは、お金の問題もありますが、それ以上に何だか地球環境に悪いことをしているような気がして、エアコンのスイッチを入れる勇気がなかなか湧きません。そんなわけで、たった一人の事務所で、コートを着たままマフラーしてパソコンに向かうという、きっと人様が見たら不気味に思うような格好で数日間を過ごしてしまいました。

 とはいうものの、電話も鳴らず来客も一切ないオフィスで、キーボードに触れる指の冷たさを感じながら文章を綴るというのは、これはこれでなかなかいいものです。何というか、研ぎ澄まされていく感じってやつですかね。そして最高の収穫は、効率の良さ!
 普段も同じような作業をしているのですが、集中しているつもりで注意はかなり分散しているようです。「所長、電話です」「お茶代の精算してください」「○○さんが見えました」「××社にはいつ行きましょうか」などという会話が私の思考をブツ、ブツ、ブツと断ち切ってくれ、何だか仕事をしたようなつもりでも少しもはかどっていないことがよくあります。
 ところがこの正月は、本当に普段の3倍くらいの量の仕事がこなせ、自分で言うのも何ですが、出来映えもよかったような気がするのです。

 やっぱり集中力は大切だよなー。同じことをするのでも、ダラダラと長い時間をかけてやるより、気持ちを高めて短時間のうちにこなす方がいい結果出ること多いもんなー。これは仕事に限らず、趣味でも遊びでも一緒だなー。  なんてことをぼんやりと考えながら、仕事の合間に我が尊敬する三島由紀夫氏の略歴をネットで調べていたら、次のような記事が目にとまりました。

★みしま・ゆきお(1925-1970) 作家、文学者。戯曲、評論も多くする。
 代表作に、小説「仮面の告白」「潮騒」(新潮社文学賞)「金閣寺」(読売文学賞)「鏡子の家」「豊饒の海」など。受賞多数、ノーベル文学賞候補に何度も上った。1925年(大正14年)1月14日、東京市四谷区永住町2番地(現・新宿区四谷4丁目)に、父・平岡梓(あずさ)、母・倭文重(しずえ)の長男として誕生。本名平岡公威(きみたけ)。 1970年(昭和45年)45歳11月25日、「楯の会」学生長森田必勝ほか3名の同志と、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に至り、自衛隊の覚醒と決起を促すも果たさず、「天皇陛下万歳」を三唱して古式に習い割腹自決。
 (人力検索サイト「はてな」(http://www.hatena.ne.jp/)より転載)

 そうだったのかぁぁぁぁ。日頃あまり意識したことはなかったけれど、三島氏はなんと45歳という若さでこの世を去っている。それなのに、日本文学史上に燦然と輝く文学作品を、それも半端じゃない膨大な作品数残しておられるのですね。
 若くして亡くなったといえば、すぐ頭に浮かぶのはモーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス)ですよね。早速調べてみたら、なんと享年35歳です。そしてその生涯のうちに残した作品は、41曲の交響曲を含め総数700曲以上。それも後世の音楽に多大な影響を及ぼす作品ばかりです。

 そう言えば昨年お札のデザインが一新されましたが、野口英世氏は享年51歳。黄熱病の研究にその生涯を捧げ、医学界に多大な功績を残しました。樋口一葉さんはなんと24年という短い生涯でした。その短い一生のうちに、「たけくらべ」「にごりえ」などの現代人にも感銘を与える珠玉の作品を遺しています。

 これは大変なことになってきた。のんびり雑煮なんか食ってる場合じゃないかもしれない。芥川龍之介氏は1892年(明治25年)に生まれ、1927年(昭和2年)に35歳で没。でも蜘蛛の糸、杜子春、鼻、羅生門などの作品は、国語の教科書にも載っていますし、誰でも一度は読んだことがあるはずですよね。石川啄木氏は肺結核のため26歳で逝去。一握の砂に収録されている「我泣き濡れて蟹と戯る」「軽きに泣きて三歩あゆまず」「じっと手を見る」などの歌は何度となく口ずさみ、私の心の中に刻み込まれています。
 ジャズの世界では。サキソフォン奏者として大きな足跡を残したジョン・コルトレーン氏は1967年に41歳で没。ギタリストといえばウェス・モンゴメリー氏。この方も1968年に43歳で没。作曲家では、ジョージ・ガーシュイン氏は1898年に生まれ、1937年に39歳で没。「ラプソディ・イン・ブルー」「ポギーとベス」「ザ・マン・アイ・ラブ」など、ジャズ系の名曲といえばこの人です。

 何ということでしょう。私はいつの間にか、これら偉人達の生涯とほぼ同じくらい、あるいはそれ以上の時間を既に生きてしまいました。もしあの世で一堂に会したら、芥川君もガーシュイン君もみんな年下なのね…。それにしても天才は、短い生涯を極度の集中力で燃焼し尽くし、私などには思いも及ばない完成度と量の仕事を残していったことに今更ながら驚きます。
 「あの人がもっと生きていたらどんな作品を?」などと空想してみても詮ないこと。だってみんなその短い生涯を集中して完全燃焼して、そして誰にも真似のできないところにまで登りつめたのですから。

 こうして調べてみると、詰まるところ一日一日を大切にして、集中して、自分にむち打つ以外に自分を高めていく方法はないようです。人生の終着点は誰にも分かりませんが、敢えて誤解を恐れずに言えば、長生きすればいいというものでもない。自分の尊敬する人が何歳まで生きたのか、自分と同じ年の頃には何をしていたのか。そんなことを考えてみるのも一つの物差しになるような気がします。そんなわけで今月の一押しは「享年調べ」でした。

 正月早々縁起でもない?いやいやそんなことはありませんよ。一年の計を立てるにはまだ遅くない。私も自分の享年を今年一杯と仮定して、気力と集中力で完全燃焼しますわよ。そして上手くいったらどんちゃん騒ぎ……じゃ意味ないか。

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