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今回の一押しは「ベートーヴェンの耳」だあ!

2005年02月14日

 渡辺貞夫さんという人をご存じですか。といっても、いつぞやの人名探し(本コーナー2004年5月「ネットサーチ」)じゃありませんが、同姓同名の人は沢山いるもので、実は私の家のお隣も渡辺貞夫さんです。「お、ナベサダの隣か」と思ったら全然違う人でしたが、そんなことはどうでもよくて、今回のお話はジャズプレイヤーのナベサダこと渡辺貞夫さんからスタートいたしましょう。

 お正月でしたか、食事のときに何気なくつけたテレビに渡辺さんが登場していました。この人は、音楽もさることながら、ビジュアル的にもかなりイケていて、あの笑顔を拝見していると年齢性別に関係なく「素敵な人だなあ」と思ってしまいます。
 そのナベサダさんがインタビューの中でこんなことを仰っていました。すなわちアフリカに旅行したとき、地元のサックスプレイヤーに出会ったんだけど、持っている楽器はボロボロでその音はまるで馬がいななくようなすごい音。でもそれを吹いている彼の顔を見たら、その顔がものすごく嬉しそうで、ああ、楽器はこうやって吹くんだな、とその人に教わりました、と。

 あの世界の一流プレイヤーの口から「教わった」という言葉を聞いて、私、不覚にも涙が出そうになってしまいました。どうも最近あちこち締まりが悪くて、じゃなくて、一流といわれる人はいつまでも謙虚なんだなあと感激してしまったのです。
 そしてその番組の中でナベサダさんは、音楽は「音を楽しむ」と書くんだから楽しめばいいんだ、と思ったときから楽になって、難解ではないシンプルなフレーズが吹けるようになった、とも仰いました。

 数多くの経験を重ね、奥深くまで研究をされた方だからこその含蓄のあるお言葉ですね。素人の私が最初からシンプルなフレーズでは、ただの下手ということですが、でもこのお話は私に勇気とサジェスチョンを与えてくれました。渡辺さんはあんなに楽しそうに演奏される、だから難しいと言われるジャズの曲がヒットチャートにも登場した、だからナベサダさんは素敵に見える、というわけです。

 よく言われることですが、どうも私たち日本人は物事を難しく考えすぎる傾向があるようです。音楽教育などでも、今の小学校はどうなっているのか知りませんが、私自身には暗い記憶しかありません。
 たとえば学校の音楽室は、私の経験では校舎のずーっと奥の方にあって、何となくかび臭くて薄ら寒くて、壁にはバッハとかベートーヴェンとかメンデルスゾーンの似顔絵?が貼ってあって、それがまた写楽の大首絵みたいに大きくて恐い顔をしていて、もうそれだけで帰りたくなる、そんな環境でした。
 バッハなんて、白いカツラかぶって目をむいて、とてもこの世の人とは思えません。この世の人じゃありませんけど。そんな人に睨まれながら歌を歌えと言われても、気の小さい私は縮み上がって声なんか出ませんでした。

 夏休みの音楽の宿題で、ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」を聞いて鑑賞文を書いてきなさい、というのがありました。このムソルグスキーという人がまた恐い顔をしてまして、曲は確かに面白いけど、鑑賞文って一体何を書いたらいいんだか、さっぱり分からない。なんかいい加減なことを書いて、そういういい加減なことを書いている自分がイヤで、今でも覚えているくらいだから相当後味の悪い経験だったんですね。
 楽譜を読む授業になってシャープやフラットが出てくると、もういけません。「イ短調」なんて、その頃は「異端腸」位にしか聞こえなくて、その仰々しい響きに圧倒されて何のことだかさっぱり分からない。今ならAm(エーマイナー)のことかと分かるんですが、変ロ長調とか嬰ト短調とかいう呼び方はひどすぎると思いません?「こうすれば音楽が嫌いになれる」の見本みたいです。
 そんなわけで、子供時代の私は音楽の授業が大嫌いだったのです。

 でもよくしたもので、段々大人になると学校の授業とは関係なく「かっこいいもの」に憧れて、そのお陰で音楽が大好きになりました。そして面白さが段々分かってくるにつれて、ロックからジャズ、クラシックに至るまでいろいろなジャンルの曲を楽しむようになったのです。
 クラシック音楽も、バロックはよく分かりませんが、ベートーヴェンの交響曲全集などはカール・ベーム指揮のやつを買い込んで一生懸命聞きました。どの曲にも、どの楽章にもロマンチックな美しいフレーズが沢山詰まっていて、一体耳の聞こえない人がどうしてあんな美しい曲を作れたのかと、その奇跡にため息をつくばかりです。

 ということで。
 ようやく今回の本題にたどり着きました。長かったなー前置きが(笑)。今回一押ししたかったのは、最近読んで感銘を受けた本、その名も「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」(江時久(えときひさし)著、NTT出版)です。
 この本の主題は、そのタイトルのとおり、一般にベートーヴェンは聾だったと言われているけれども、実は音楽が聞こえていた、という大胆な仮説です。

 ことの真偽を判断する力は私にはありませんが、著者の意見が説得力を有するのは、著者自身が聴覚障害の経験者であるということ。そして仮説の裏付けとなる科学的な根拠として、「耳硬化症(じこうかしょう)」という病名を掲げていることです。
 本文の一節に「人は耳の穴をふさいでも音が聞こえる。つまり頭の骨からも音を聞いているからなんだよ。耳栓をつめると、言葉のような耳の穴から聞く音はたしかに聞き取りにくくなる。しかし、強い音は耳栓をつめても頭の骨からでも聞こえるんだ」というくだりがありますが、この考え方によれば、ベートーヴェンは人の話し声は聞こえないけれども楽器の音は聞こえていた、ということになるわけです。

 なるほど。そういえば最近、雑踏の中でも聞こえる携帯電話っていうのをCMでやってますよね。確かあれも「骨伝導」というのがキーワードになっていたような。水泳などをして耳に水が入って抜けないときに、頭に触ると妙に音が響くのも何か関係がありそうですね。
 ふーむ。そもそも「耳が聞こえない」という状態にいくつもの種類があるということを、私はこの本を読むまで考えたこともありませんでした。と、いろいろ思いを巡らせていくうちに、この本の仮説がとても正しいもののように思えてきます。

 そしてベートーヴェンが気難しい人だったのは、人の会話が聞き取れないのを隠すための方策だった、身分違いの人をいつも好きになる恋多き人だったと言われているが、実はロールヘンという幼なじみの女性に会話が聞こえないことを隠したために結婚できず、生涯独身を通した、などの仮説を読むと、ベートーヴェンという人のお人柄と辛さに耐えた生活が偲ばれて、音楽室の似顔絵をただ怖がっていただけの自分の無知を恥じるばかりです。というわけで今月の一押しは「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」でした。

 とても面白い本ですから、音楽に興味がない人も是非一度お読みになることをお勧めします。でも音楽に本当に、全く興味がない人は無理かなぁ。そういえば私の高校時代のクラスメートにM君というのがいて、この男は合唱コンクールの四部合唱の楽譜を見たときに「全部俺が歌うの?」と真面目な顔して私に聞きましたからねぇ。世の中いろんな人がいるからなぁ…。

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