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今回の一押しは「流星ワゴン」だあ!

2005年04月15日

 4月1日の日経新聞夕刊に、アナウンサーの梶原しげるさんという方が「もう一度キャンパス」というテーマですてきな随筆を書いておられました。

 梶原さんは、ご存じの方も多いと思いますが、語り口が軽妙な、なかなかいい男のアナウンサーです。一時は「シーゲル梶原」などと名乗り、とてもお若く感じますが、今年55歳になられるとのことで、正しく学園紛争の世代。ご本人によれば、早稲田大学在学中も紛争は続き、在学中に勉強した記憶といえば「リポートを教科書丸写しででっち上げたことぐらい」。
 そして「学び直したい」という思いがずっと続き、あるチャンスからめでたく某大学の大学院入学試験にパスして、「もう一度キャンパス」になったとのことです。

 以下、その随筆から梶原さんの文章を少し引用させていただきます。

「ある日、「ゲシュタルト療法」という心理療法の講義で「未完の行為」という用語の解説があった。それを聞いた時、「自分が五十歳を目前にして大学院に進んだのは、こういうことだったのか」と思わずひざを打った。
 未完の行為とは「やりたくてもできなかった、してほしくてもしてもらえなかった過去の心残り」のこと。完結しなかった心残りを後々に完結させて清算し、過去へのこだわり、とらわれから解き放たれ、心理的困難から立ち直ろうとする技法である。
 私の「未完の行為」は「大学で学ぶこと」だった。」

 なるほど。分かりやすくいえば「恨めしや」のことですね。恨めしいから、成仏できない。恨めしいことが解決すれば迷わずあの世にいける、という心理の構図は、何も怪談話に限ったことではなく、現実の世界にもあるのでした。
 そう言えば。私がよく行く新宿やお茶の水の楽器店にも、恨めしい幽霊が沢山出没しています。ギターにばっかり気を取られてお客のほうを見ていないので、ちゃんと足があったかどうか定かではありませんが、サラリーマンの姿をした、「未完の行為」に引きずられた元少年の亡霊が私には確かに見えるのです。

 かくいう私も、足許に目をやると「あ、足が…」よかった〜、短いけど一応ついていました(笑)。私自身は、学生時代から楽器に触るチャンスはありましたので、音楽をそれなりに楽しむことはできたのですが、それでも「やりたくてもできなかった」思い出はいくつもあります。
 一番悔しい思い出は、アンプを盗まれたこと。高校生の頃、偏見に満ちた親を拝み倒してやっと買ってもらったグヤトーンの小さいギターアンプを、学校の部室に入った泥棒に盗られてしまったのです。まだほんの数回しか使っていないのに。友達とバンドを組んで、こんな感じでやろうぜー、と言っていたのが全部おじゃんになりました。大ショックでした。
 もちろんそんな不用心な場所に置いて帰った私が悪いわけですが、子供だった私は恨みましたねー。泥棒を。世間を。二度と買ってくれなかった父親を。それからでしょうか、父親とうまくいかなくなったのは(笑)。

 そういえば皆さん、家族と仲良くやってますか。楽しくワイワイやっておられる方は本当に幸せだと思いますが、そうでもない方も結構いらっしゃるようですね。
 特に父親と息子の関係はなかなかビミョーで、仲間であるような敵であるような、血が繋がっているのに対抗意識をむき出しにしたり、理解し合えないままに時は過ぎゆく、というようなケースはよくあるようです。
 世代が違うから価値観も違う。だから父が正しいと思うことを息子が否定する事態が生じるのは当然のことで、それでも父親が若いうちは頭ごなしに叱られておしまい。このため、息子の父親に対するコンプレックスは募る一方です。ところが父が段々年を取って弱くなっていくと、今まで散々威張り散らしてきた人ほど、そのしっぺ返しを食らうことになる。
 被害妄想的になったり、虚勢を張ったり。何というか、要するに素直になれないわけですね。息子としては、そんな父親をかわいそうに感じるけれども、積年の恨みもあるので優しい言葉を掛けられず、如何ともし難い。胸襟を開いて、お互いに素直にわだかまりなく話し合える親子って、意外に少ないような気がします。実は私もそうなんですが。

 私の父は、おじいちゃんになってしまいましたが、今も元気に働いています。年相応に頑固で気難しいところもあるけれど、まあ、いい方かもしれません。昔から人の意見なんて一切聞かない人で、私も散々戦ってきましたが、ついに敗れ去りました。
 子供を持って、子供にまで気を遣ってしまう自分を振り返るにつけ、父の偉大さを感じます。だって我が父には家族にいいところを見せようとか、気に入られるように振る舞おうなんて素振りはまったくないのですから。ダメなものはダメ。説得してもダメ。ふてくされてもダメ。泣いてもダメ。なかなか出来ることではありません。

 親子の問題について考えるとき、決まって頭に浮かぶ曲があります。ジョン・レノンの「Mother」という曲ですが、ご存じでしょうか。レノンらしい、とても悲しい名曲です。シンプルな旋律を叫ぶように歌うレノンの声はかなり切ないですが、もっと切ないのはこの曲の歌詞ですね。

 Mother, you had me, I never had you.
 I wanted you, you didn't want me.
 So I, I just gotta tell you.
 Goodbye. Goodbye.

 Father, you left me, I never left you.
 I needed you, you did'nt need me.
 So I, I just gotta tell you.
 Goodbye. Goodbye.

 母さん。僕は母さんのものだったけど、母さんは僕のものじゃなかった。
 ものすごく英語らしい表現なので日本語に置き換えるのは難しいですが、親子の一方通行の感情を、シンプルな言葉で見事に表現していると思います。ことの重大さの程度はさまざまですが、親子間のこういう複雑な感情は世界共通であるようです。

 話はまた飛びますが、ある日書店に行って何となく文庫本コーナーを歩いていたら、「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作、という広告が目に入りました。思わず手に取ってみたらタイトルは「流星ワゴン」とあります。
 何だSFか、と思って一度は戻しかけたのですが、「ベスト1」という言葉に惹かれて深い思いもなく、他の何冊かと一緒にレジに運びました。ところが読み始めたらこれが大変な傑作で、あたしゃ夜の9時過ぎに新宿の小滝橋通りの「二郎」でラーメンを食べた後にタリーズでコーヒーを飲みながら最後の数十ページを読んで、本気で泣いてしまいましたよ。
 周りから見たら怪しいオヤジだったでしょうが、涙で読んでいる本の文字がにじむなんて経験はちょっと記憶にありません。

 多くは語りませんが、物語には、現代社会に生きている人なら誰もが経験するであろうテーマが満ちあふれています。親子の不仲、夫婦の不仲、子供の中学受験、家庭内暴力、親の死などなど。 
 人はいろいろなトラブルを経験するたびに後悔を繰り返します。「あのときあんな態度を取らなければよかった」とか「あそこでこうすればよかった」とか。そしてさまざまな人生の岐路で、間違った選択をしてしまったという後悔の念が次々に「恨めしや」となって溜まっていくわけです。
 この物語は、幽霊になりかかった主人公が、その人生の岐路に再び立たせてもらってもう一度やり直す話です。登場人物は親父と息子と孫の男三世代。それぞれの人間関係、心の襞を淡々とした文章で語り続ける著者の筆力は天才的というほかありません。
 私は、自分自身の親子関係やさまざまな経験がこの物語に見事に重なって、かつて経験したことのない強い感銘を受けました。 

 というわけで今月の一押しは「流星ワゴン(重松清著、講談社文庫)でした。たった730円で数日間は素晴らしい世界に浸ることができます。是非読むべし。でも読むなら家に帰ってからのほうがいいかもよ。だって泣いちゃうんだもん。ほんとに。

 

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