konge-log.gif

今回の一押しは「川の字」だあ!

2005年06月17日

 名大関貴ノ花。美しくて哀愁感を漂わせる素晴らしい関取でした。北の湖や輪島などの大型力士の間にあって、粘り強く最後まで戦い続けるその姿は、ファンの心にいつまでも焼きついています。私も彼の全盛時代は大相撲が好きで、昭和40年代から50年代にかけての取組は手に汗握ってテレビを見つめていた記憶があります。

 その貴ノ花の相続のことで、世間は大騒ぎになっていますねえ。いいじゃん、人の家のもめごとなんかどうだって、と思いますが、お気の毒に芸能界の格好の餌食となって、テレビもスポーツ新聞も週刊誌も毎日この話題で持ちきりです。
 風が吹けば桶屋が何とかではありませんが、ついに私のところにまで週刊誌の記者がお見えになり「今回の年寄株の相続に関して専門家のご意見を」などと取材を受けることになってしまいました。「貴ノ花がんばれ〜」と絶叫していた自分が、まさか貴ノ花のことで仕事をするとは夢にも思いませんでしたが、取材を受ける中でいろいろと思うところがありました。今回はそんなお話を少し。

 私、別に自慢するわけではないのですが、ときどきマスコミに登場しています。とは言っても生来人前に出るほどの容姿ではありませんので写真などは極力ご勘弁いただいていますが、名前が活字になったのは専門誌以外にも日本経済新聞、読売新聞、日刊ゲンダイ、週刊ポスト、日経マネー、女性自身、クロワッサンなど、実に幅広い媒体となっておりまして(笑)、ご依頼を受けるテーマの半分以上が相続税に関することでした。
 そういう仕事をする度に思うのですが、世の中の人は数多くの思い違いをしていらっしゃる。偉そうに言う私だって、税金のことは多少詳しいですがそれ以外のことはほとんど知らないに等しいわけで、携帯に電話すると相手が北海道にいても沖縄にいても瞬時につながるのはなぜなのか、ラーメン屋で食べるチャーハンはなぜあんなに旨いのか、クリーニング屋さんはあちこちから持ち込まれる似たようなワイシャツをどうやって客ごとに区別しているのか、もう世の中分からないことだらけです。

 そんなわけですから、相続なんていうややこしくて日頃経験することのない問題については、普通の人は知らないのがむしろ当たり前。ところが「相続税で家がつぶれる」とか「贈与すると税務署が来る」なんていうコワーい噂が一人歩きするものだから、聞きかじりの知識にすがりたくなるわけで、そこに大きな思い違いが生じるのでしょうね。
 たとえば次の質問、皆さんだったら○と×のどちらをつけますか?
@故人の死後に遺言書が出てきたら、遺産はその指示通りに分けなければならない
A子供の名前で貯金しておけば相続税対策になる
B亡くなる直前に銀行口座から引き出したお金には相続税がかからない
C父と母それぞれから100万円ずつ贈与を受けても、どちらも基礎控除以下だから贈与税はかからない
D遺産が欲しくないときは相続放棄の手続をしなければならない 

 正解は……すべて×なんです。ここは仕事のページではありませんので解説は省略させていただきますが、いずれにしても法律というのは難しくできていますね(納得がいかない方は私に個別にメール下さい)。
 でもね、難しくできているから私の商売が成り立つわけで、もっと言えば分からないことが多いから生きているのが楽しいということにもなる。そしてそういう無限にある疑問に行き当たるたびに、もちろん全てではないけれども、きっとそれにスラスラと答えてくれる専門家がどこかにいるんだろうなぁと想像し、同時に一人の人間の経験や知識はなんて小さいんだろう、とため息をついてしまいます。

 雑誌記者氏に「今までのご経験で、相続が起きて実際にもめた案件はどのくらいありましたか?」と聞かれました。私の解答は「95%くらい」でした。法廷闘争まで行くか、まあまあと言って話し合いで決着するかの程度の差はありますが、私の実感としては相続が起きるとほとんどが争いになるということです。だから花田家の話だって私にとっては珍しくも何ともなく、正直なところ「歴史は繰り返す」くらいの感想しかありません。たまたま著名人だったがために大騒ぎになっていますが、あの程度の話はどこにでもあるのです。
 兄弟げんかが起きて大騒ぎになる。そこにマスコミが大挙して駆けつけると、今度は道路が通れないといって記者と一般市民が殴り合いの喧嘩をする。右を向いても左を向いても、みんな目を三角にしてカリカリしている。そういう点では実にいやな世の中になってしまいましたね。もっともつい数百年前までは、仇の首を切り落として晒し物にするようなことが平然と行われていたのですから、むしろ平和になったというべきなのかもしれませんが。
 
 こういった争いや喧嘩の最大の原因は、つまるところ相手のことを理解できていないことにあるのではないでしょうか。そしてそれは、先ほど言った人間の知識や経験がものすごく小さいことに起因しているような気がする。
 世の中があまりに進歩しすぎて、生活のテンポが速くなりすぎて、来る日も来る日もさまざまな情報が雨あられのように降り注いできます。「権利を主張できるのは今だけだよ」「子供や孫のことまで考えたの?」「バカだなあ、お人好し」「自分だけよければいいのか?」「実印なんて簡単に押すもんじゃないよ」「何でもっと早く相談しないの」といろいろな人からいろいろなことを言われ、もともと自信がないのがますますどうしていいか分からなくなる。
 普通に考えれば「これを君にあげるよ」と素直に言えるはずなのに、いつの間にか心に鬼が住み着いて、人相まで鬼のようになっていくのです。

 実際に聞いたことがないので分かりませんが、殺人事件を起こした人が相手に暴力を振るう前にその人の家族の泣き叫ぶ顔や幼い子供のことを頭に浮かべることができたら、そのうちの何人かは犯行を思い止まったのではないでしょうか。もしそうであるとしたら、やはり相手への理解力、想像力が欠けていることになる。
 そんな極端な話でなくても、駅で肩がぶつかったといって口論になる、交際を断られた腹いせに無言電話を繰り返す、後ろからきた車に追い越されて腹を立てる、目つきが悪いと因縁をつける。そういうトラブルが毎時毎分のように起きています。
 きっとそういう事件の多くが、相手のことを知らないから、あるいは相手の立場、相手の気持ちを考えないから生じているように思えてなりません。

 最近、かつて自分が所属していた大学のクラブ活動に関して、若い学生諸君と真面目な議論をする機会がありました。溌剌とした成績優秀な青年達ですが、じっくり話をしてみると彼らの多くが物事をある一面からしか見ることができていない、ということが分かってきました。
 個人主義が浸透し、核家族化が進んで、自分と違う価値観を持った人と接する機会が段々少なくなってくる。おじいちゃんやおばあちゃんが何を考えているか、全く分からない。そういう他世代への無理解が、排他的な態度や恐怖心を生む根源にあるように思えてなりません。

 そのことを裏付けるような面白い話を、先日、私の大切な友人の秀ちゃんに伺いました。「卓袱台(ちゃぶだい)のある生活」というテーマなんですが、かつての我が国は生活水準が低く、狭い一つの部屋をあるときは食堂に、あるときは寝室に模様替えして生活してきた。卓袱台というのはそのために誠に便利な家具で、朝起きて布団を畳んだら、ゴロゴロと卓袱台を転がしてきて足を広げれば、あっという間にその部屋が食堂になる、というのです。
 そしてそういった生活様式の最も大切なポイントは、家族が一堂に会さなければ食事にありつけない、ということ。そこに家族団らんが生まれ、会話が交わされ、お互いの健康状態を確認しあい、他の世代への理解が生まれていく、というわけです。ところが豊かになった現代では、居間と寝室とダイニングルームが別々に設けられるようになったために、何時に帰ってこようが自分の好き勝手なときに食事ができる。自分の都合だけの、やりたい放題の生活が実現しているわけです。コンビニのお陰で食べたいものはいつでも手に入る。最近では、家に冷蔵庫を持たない人も結構多いんですってね。

 単一民族の日本でさえ少し世代が違うだけで全然分かり合えない世の中になってきてしまったのですから、世界中の人々が手と手を取り合って仲良くするなんて、もしかしたら絶望的なことなのかもしれません。
 もちろん隣人とも隣国とも相互理解を深め仲良くしていく努力を絶やしてはなりませんが、とはいうもののやっぱり一番楽しいのは、お互いを理解し合える親しい家族や友人達と、仲良く暮らすことではないでしょうかね。
 「川の字になって寝る」という言葉がありますけど、考えてみるとこれって最高の幸せですよ。真ん中にちっちゃい棒があって、そいつが右向いたり左向いたり逆さまになったり寝言を言ったりして、こんなに可愛いものはありません。というわけで何だか硬派になってしまった今月の一押しは「川の字」でした。
 私にもかつて「川の字」の幸せな一時がありましたが、今じゃカタカナの「ノ」の字だなー。毎晩寝苦しくって、朝目が覚めるとベッドの上で斜めになって苦しんでるんだもの。ホントさいてー……

 

 

HOME ・ LIST ・ TOP