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今回の一押しは「寂光院」だあ!

2005年07月16日

 平徳子さんという女性をご存じでしょうか。といっても居酒屋のママのトク子ねえさんのことではありません。建礼門院徳子と言えば、あー分かった、という方もいらっしゃるかな。今回は、この徳子さんについて少し語らせていただきましょうか。

 さて、今年も7月になりました。7月は私にとっては旅の月。去年もおととしも、そしてその前も、毎年この時期には地方で仕事があるのを口実にして、大阪や北海道に旅立っております。恒例になってくると段々旅慣れて、泊まるならあそこのホテルがいいなとか、今年はあの店で夕食にしよう、などと楽しい妄想が頭に浮かんできますが、同時に観光計画も多少マニアックな志向となっていくようで、気がつくとあまり観光地らしくないところを選んでいます。
 今回は、「オムロン君(何のことだか分からない方は本コーナー2005年5月のページをお読み下さい)」の限界に挑戦すべく「歩く」をテーマに古都京都の街に挑んだのですが、まずは「上京税務署」から。すみません、職業柄親しみを覚えてしまっただけです。特に意味はありません。

       

 続いて「西尾浸落店」。こちらもお話とは何の関係もないのですが、「浸落」って何のことだか分かりますか?なんと「しみおとし」なんですねー。初めて知りました。呉服の街、京都ならではのご商売でしょうか。何だかうれしくなってカメラを構えてしまいました。
 
 それにしても今年の京都は雨、雨、雨。四国や九州では相当な豪雨で、土砂崩れなどの災害に遭われた方が多数いらっしゃったようですが、その活発な梅雨前線の余波が京都にも登場し、一日傘を差してずぶ濡れになりながら歩き回りました。でも何でもない普通の町を、ただ歩いているだけで幸せな気分です。京都御所にも行きましたが、あのひろーーーーーーい公園の中に、人影がほとんど見当たりません。その静けさに心打たれます。

   

 続いては上七軒。北野天満宮の近くにある通りです。舞妓さんが行き来する、いかにも京都らしい町並みでした。そしてその少し先に、千本釈迦堂という小さなお寺がありました。ここで私は昔懐かしい友達に出会ってしまったのです。それはね、「おかめさん」です。

   

 いや別に友達というわけじゃないんですが、このお顔、どこかでお目にかかったことがあるような…、そんな懐かしい感じがしません?実はこのおかめさんという人、実在かどうかは知りませんが、伝説をまとった人物のようです。
(日本昔話その1)
 むかしむかし鎌倉時代の初め頃、長井飛騨守高次という高名な大工の棟梁とその妻の阿亀が京都に住んでおったそうなー。ある日高次が仕事で失敗をしてしまったが、阿亀の妙案のおかげで無事に難局を切り抜けたそうなー。しかし女の発案で仕事を為し得たことが世間に知れては夫の恥と、阿亀は自刃してこの世を去ったそうなー。高次は亡き妻の面を御幣に飾り、妻の冥福を祈ったそうなー。
 というわけでおかめのお面もおかめそばも、阿亀さんの才知と貞淑を称えたものだったんですね。女性が強くなった今のご時世では、何で死ななきゃならないの?という声が聞こえてきそうですが、男性が自害したお話もあるんですよ。

 それは、意外や意外、鍾馗(しょうき)様です。鍾馗様って知ってます?あの毛むくじゃらの、赤い顔して刀持ったコワーい感じの人。五月人形にもありますよね。それが京都の街では、何と玄関の上にあるんです。これが証拠写真。

    

 小さくて見えづらいですけど、分かりますかね。昔ながらの町並みを歩くと、あ、ここにも、という感じで、あちこちの家の玄関の上の方に飾られています。それも大きいのや小さいの、一人だけのや子分連れのなど、なかなか可愛くて変化に富んでいて面白い。どうも魔除けのようですが、それもそのはず、鍾馗様にはこんなお話があるんです。
(中国昔話その1)
 むかしむかし中国の唐の時代に、鍾馗という青年がおったそうなー。鍾馗は優秀で、官吏の試験に合格して状元という称号を受けたそうなー。ところが、髭面で人相の悪い鍾馗は、謁見した玄宗皇帝に怖がられ、その称号を取り消されてしまったそうなー。絶望した錘馗は自殺したそうなー。
 その後、玄宗皇帝は病気にかかり、高熱に苦しむ中で自分に取りつく鬼たちを大鬼が退治する夢を見たそうなー。それが鍾馗だったそうなー。夢からさめた玄宗皇帝は、自分の浅はかさを深く後悔し、命を救ってくれた錘馗を神として祀ることにしたそうなー。めでたしー、めでたしー。

 というわけで、鍾馗様は魔除けの神様として崇められているわけです。京都の街は、このように至る所に神社、仏閣、旧跡があり、それにまつわる言い伝えが庶民の信仰とともに数多く残されています。歴史がある土地だけに、関東の水飲み百姓出身の私などはよそ者の疎外感を味わってしまいますが、それは一人旅の心細さのせいだったかも知れません。
 
 さて歴史に登場する数多くの人物のうち、その波乱に富んだ生涯の故に数多くの人から慕われている人の筆頭といえばこの人、建礼門院徳子様です。いよいよ今回の本編が始まりましたぁ(笑)。
 私もそれほど詳しく勉強したわけではありませんが、徳子という人は、あの平清盛の二女にあたる人で、平家物語の重要な登場人物の一人です。もちろん実在の方で、皇族の一人です。
 家系図を見てみると、何という近親結婚!と驚きますが、平時子と平滋子という姉妹がいて、時子の夫が清盛、滋子の夫が後白河上皇です。そして清盛と時子の間に生まれた二番目の女の子が徳子。その徳子は、滋子と後白河上皇との間に生まれた高倉天皇と結婚しました。つまりいとこ同士の間柄で結婚し、皇位を継承したのです。完全な政略結婚ですよね。

 23歳で安徳天皇を産み、天皇の母となった徳子様は、恐らく思い通りにならないことも多々あったでしょうが、それでも権力の中枢にあったことは間違いありません。京の都でそれなりに優雅な暮らしをしていたことでしょう。ところが栄華を極めた平家も、東国の源頼朝やその弟の義経、木曽義仲といった源氏の軍勢に攻め立てられ、特に清盛が病死したあとの一門の権力は一気に弱体化していきます。
 そして都を追われて西に落ち延びた平家一族は、有名な壇ノ浦の合戦で敗れ、一族のほとんどが敵に斬られたり瀬戸内海に飛び込んだりしてこの世を去りました。天皇といってもわずか7歳の我が子安徳天皇も、その祖母である時子(出家して二位の尼)に抱かれて海底に沈んでいきます。徳子様自身も身を投げたようですが、どういう事情があったのか敵の軍勢に助けられ、生き残った数十名の捕虜とともに京都に帰ってくることになりました。

 徳子様は自分の目で見たのでしょうか。自分の子が自分の母に抱かれて海に飛び込み、ともに死んでゆく様を。家族が次々に切られ殺されていく様を。今でいえば、兵庫県から、岡山県、広島県へと逃げ続け、遠く山口県の下関の海で自分以外の一族がほぼ全滅したのです。京都を出たことのない女性にしてみれば、地獄の果てへ逃げ続ける思いだったでしょう。
 甲冑に身を固め、刀を振り回す敵の軍勢に、自分の母親も、息子も、兄弟も、叔父も、叔母も、一族郎党が皆殺しにされていく。想像するだけでも胸を締め付けられ、心が引き裂かれる思いがします。そして彼女だけが生き残り、敵軍に保護されました。時に西暦1185年3月24日、そのとき歴史は動いた、ではありませんが、このとき彼女は30歳でした。

 京都へ連行された徳子様は、間もなく出家し、京都の北の外れ、山深い大原の地にある寂光院というお寺に身を寄せて、その後の30年弱の人生を、一族の冥福を祈りつつこの地で送りました。信じられないような悲しく数奇な一生です。こういう話を聞いたら、寂光院に行って手を合わせないわけにはいかないでしょう?
 というわけで、旅行二日目の私は、高校生時代以来の大原の里を京都駅からバスに乗って訪ねて参りました。  

 この日も朝から雨です。しとしと降る中をバスに約1時間揺られ、本当に山深い里に降り立ちました。大原というところは、なぜか漬け物の産地で、山の斜面にシソがびっしりと植えられています。向こうの山には霧がかかり、まるで東山魁夷のリトグラフを見るようです。
 まずは三千院から。なつかしいなあ、何といっても三十年ぶりですから。京都にはよく行きますが、なかなか大原まで足を伸ばす気になりませんでした。今回はちょうどアジサイの季節で、苔に覆われた寺庭の奥にブルーのアジサイの群生がみごとに咲き競っており、梅雨時なればこその美しい庭園を眺めることができました。

   

 その後、近くの料理店で湯豆腐定食などをいただいて、いよいよ寂光院を目指します。来た道を再び大原バス停まで戻り、反対方向へ15分ほど歩きますが、途中、沙羅双樹の花が咲き乱れ、「盛者必衰の理」をあらわすかのように、きれいな花がそのまま地面にぽとぽとと落ちているのを初めて見ました。

   

 そしてついにたどり着きました。寂光院です。
 ほんとうに寂しいお寺です。残念なことに本堂は平成12年5月の不審火により焼失し、新しい建物に変わっていましたが、それにしても小さいお堂です。こんな山奥で、徳子様はテレビもラジオもステレオもないままに30年近い年月を過ごし、そして亡くなっていったんですね。

   

 思いきや 深山の奥にすまゐして 雲居の月をよそに見むとは

 「雲居」とは、はるか遠いところ、宮中を意味する言葉です。こんな山奥に住んで、宮中で見た月を眺めることになるとは思いもしなかった、というこの歌を読むたびに、徳子様の悲しい心中が察せられて目頭が熱くなります。というわけで今月の一押しは「寂光院」でした。

 徳子様の孤独に比べたらお話にもなりませんが、今回の京都は雨のお陰で観光客が少なく、しっとりとした旅ができました。でもあんまり人がいないというのも…。なんか寂しいものですねえ…。昼食も、夕食も、お客は私一人だけだとねえ…。なんか悪いことしているみたいでねえ…。お世話になったお店の方々、本当においしかったですよ〜。お願いだから来年まで潰れないで待っててね〜。

    

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