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今回の一押しは「神田神保町」だあ!

2005年10月16日

 ゆで蛙の話というのをご存じでしょうか。
 沸騰したお湯にいきなり蛙を入れたら、蛙は驚いて飛び出すけれども、水の中に入れておいて少しずつ少しずつ暖めたら、その温度の変化に気づかずいつの間にか茹で上がってしまうというストーリーです。カエルちゃんもそこまで鈍感ではないでしょうから実際にそんなことはないのでしょうが、変化に気づかず慢心していると取り返しのつかないことになることの例えとして、よく引き合いに出される話ですね。
 私もお風呂に入って浴槽で爆睡してしまい、危うくゆでブタになりかけた経験はありますが、どうにか一命だけは取り留めました。しかし最近は、社会人としてゆで蛙になりかかっているのではないかと、戦々恐々の毎日です。 

 ゆで蛙の話とは多少ニュアンスが異なりますが、私たちが毎日見ている周囲の景色も、日々少しずつ変化しているはずです。でも今日の景色は昨日のそれとほとんど変わらないので、その違いを意識することはなかなか難しい。ところがある日突然、昨日まで建物が建っていた場所が空き地になっていたりすると、さてそこに何があったのかさっぱり分からないなんていう経験、皆さんにもありません?。まったく人間の眼とは節穴のようなものですよね。
 しかしそういう茫洋とした記憶だからこそ、私たちは無機質な街の風景にさまざまな思い出を混在させることができるのかもしれません。実在しているかどうかはこの際大した問題ではなくて、記憶の中のシーンには、その当時の自分の様々な感情が織り込まれている。雨の日の電話ボックスには、好きだった彼女に告白できずにいた自分が(♪レイニーブルー、ウオウオー、終わったはずーなのにぃー♪)。焼鳥屋の煙の向こうには、生涯の友と誓ったあいつの熱く語る横顔が。駅のホームには、ラブレターをくれた名前も知らない女の子の学生服姿が…。
 引っ越しを繰り返して日本中のあちこちの街をご存じの方もいらっしゃるでしょうが、生まれてからずっと同じ場所で生活してきた人にとっても、一つの街は決して同じ街ではあり続けない。昨日の街と今日の街はほとんど変化がなくても、10年前、20年前の街と今日の街はもうまったく別の世界のはずです。そしてそこにはそれぞれの時代の様々な記憶がぎっしり詰まっている。
 
 皆さんにとって、そういう意味での思い出の街はどこですか?私にとってのそれは、実は千代田区神田神保町というところです。神田神保町は、何といっても古書店で有名な街で、私の住まいからは電車で1時間近くもかかる所にあるのですが、なぜか昔から縁があるのです。

 まず小学生の頃に遡りますが、その当時の私はいわゆる受け口(上の歯より下の歯のほうが前に出ている状態)で、その治療のために水道橋にある東京歯科大学付属病院に通っていました。この病院は、JR水道橋駅を降りてすぐの白山通り沿いにあり、正しい住居表示は千代田区三崎町ですが、神保町の交差点から10分もかからないところにあって、私にとっては古書店街の続きのように感じるエリアです。
 土曜日になると、税務署勤めをしていた父と毎週のように水道橋の駅で待ち合わせをして病院に行きました。その頃の官公庁は土曜日の午前中も開いていましたので、今にして思えば現在の私よりも若かった父は勤務先の役所からの帰り、背広姿のままで私を病院に連れて行ってくれたのです。
 まだ幼かった私は、一人で水道橋なんていう遠いところまで電車に乗っていくこと自体とても心細かったですし、また診察台に座ると、なにせ大学病院ですからインターンだかなんだか知らないけどとにかく大勢の大人が私の周りをぐるっと囲んで見ている。そういう居心地の悪いところに半日いるのがとても辛くて、ですからあの頃の水道橋の思い出というと雨や曇天の日の景色ばかりです。

    
  最近の東京歯科大学付属病院と       大原簿記学校

 その次にこの街が私の中に登場するのは、20代前半の頃です。東京の西部にある大学を卒業した私は、まだ自分の将来を見極められず、税理士になろうかサラリーマンになろうか決断がつかぬまま商学部から法学部への「学士入学」という救済手段を選びました。
 法学部に在籍していれば、もし資格試験が上手くいかなくても、2年後には新卒として就職活動にチャレンジできる。そういう選択肢を残しつつ、大学にはあまり行かずに神田神保町界隈をウロウロしたのです。というのは、税理士の受験予備校が水道橋の、先ほどの東京歯科大学から少し神保町に近づいたところにあったからです。

 授業を受ける→メシを食う→本屋で気分転換をする→授業を受ける→家に帰る

 こんな生活を毎日繰り返していましたから、あの近辺のメシ屋には随分お世話になりました。たとえば「いもや」。名店です。
 同じいもやグループでも、ある店舗はとんかつ定食だけ、またある店舗は天丼だけ、というようにメニューを限定して実に効率のいい商売をしている。天丼のいもやには天丼とえび天丼の2種類のメニューしかなく、とんかつのいもやには同じくとんかつ定食とひれかつ定食の2種類のメニューしかありません。だから順番待ちの行列が店の外まではみ出しても、客はブロイラーみたいなもので座った瞬間に頼んだ品物が出てきてパクパク食べる。口をきく人なんか殆どいませんから、あっという間に自分の順番が回ってくるしくみです。
 私はいもやの天丼は少なく見積もっても65杯は食べていますね。とんかつ定食のいもやにも50回は通ったでしょうか。このとんかつは実に美味で、しかもボリューム満点。満腹になりすぎて気分が悪くなるくらいおいしいです(笑)。

    
  天丼のいもやと…                とんかつのいもや
 
 続いて「キッチングラン」。先日久し振りに行ってみましたが、あの頃と同じメニューで同じ味。うれしかったですね。最近はこういう手作りの洋食屋さんが少なくなったので、私にはとても貴重に思えます。
 直接聞いたわけではないので本当のところはよく分かりませんが、このお店はどうも家族で切り盛りしているらしい。というのは調理を一手に引き受ける男主人と、その主人に顔がよく似た女性スタッフが数人おり、主人は「世の中おもしろいことなんて一つもねーよ」みたいな顔をしてスパゲッティを茹でているのですが、その分女性達が溌剌としており、なかなか感じのいいお店です。ここのメンチカツとしょうが焼きの盛り合わせ定食は絶品で、私は通算85人前は頂いていると思います。

    
  キッチングラン                  丸沼書店

 こうして天丼ととんかつとしょうが焼きで脳細胞を活性化させた私は、どうにか無事に国家試験に合格できました。そして税理士を生涯の職業と決めたとき、それと時を同じくして自分がお世話になった受験予備校で、今度は講師として働くことになったのです。
 20代半ばになるかならないかの頃から恐らく10年近くの間、私は父親の事務所で税理士の修行をしながら、夜や週末に「所得税法」という税法の講座を担当し、多いときには100人くらいの、少ないときには3人くらい(笑)の生徒さんの前で教え続けました。
 教えていた場所は、やはり神保町近辺。その後高田馬場などにも行きましたが、やはりいもやとキッチングランにはずっとお世話になりました。とんかついもやの近くには「丸沼書店」という本屋がありますが、社会科学系の書籍ならここの書店でだいたい手に入る。そのくらい素晴らしい在庫を誇っています。税務関係の私の蔵書の半分近くはこの書店で手に入れたのではないでしょうか。

 こうして振り返ってみると、JRの水道橋駅から神保町の交差点に至るまでの間の白山通りは、私にとっては正に人生の出発点となった街なのです。
 その後結婚して子供が生まれ、可愛い盛りだった頃、この通り沿いにある「奥野かるた店」というお店でおばけかるたというのを買って帰りました。
 これが子供達に大受けで、もう何回やったかしれません。
 「空に浮かんだ大目玉」
 「いつも元気な一つ目小僧」
 「人間は二つも眼のあるお化けです」
 なんて今でも覚えているほど。

    
 奥野カルタ店                   神保町交差点のあたり

 そして何と言ってもうれしいのは、このようにご紹介してきたお店のほとんどすべてが、今も元気に営業していることです。社会人としての出発点となった懐かしい街が、そろそろ社会人を辞めさせてもらいたいなと思い始めた最近になっても形を変えずにある。素晴らしいことですね。それは言うまでもなく、この街自体に活気があり、世の中から必要とされているからに他なりません。というわけで今月の一押しは「神田神保町」でした。
 
 しかしそうは言うものの、学生時代と今とでは、同じ神保町でも立ち寄る店が違いますよ。最近ときどき行くのは白山通りから靖国通りを左に曲がったところにある「山田書店」。この店は版画の在庫が豊富で、この前、川瀬巴水のいいヤツを見つけちゃったんだよなー。それともう一つ、小川町にあるDr.Soundというギターショップ。
 ここに吉田さんというスタッフがいらっしゃるんですが、この人がとても誠実でギターが大好きで、人柄がよくて、私とミョーに馬があって、行くたびにこっちがフラフラッとくるようないい楽器を紹介してくれるの。ほんと困る(笑)。この前も#$?D&@の★#£*◆とかいうのをどうですかなんて言われちゃって、それを弾いてみたらこれがまた抜群で…。あー、ほんとに困った。欲しいけど、そんなにぽんぽん買えないし。あーどうしよう。誰か助けて〜〜

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