konge-log.gif

今回の一押しは「ワンパターン」だあ!

2006年03月26日

 嵐のような一ヶ月が過ぎました。年に一度、この時期にだけお会いする数多くのお客様のお陰で私の仕事は支えられています。渡り鳥のように、時期になると忘れずにお電話を下さり、「今年も頼むね〜」「またお願いする時期になりました」と仰って下さる皆様と次々にお会いすると、何というか「この世に生を受けて、この職業を選んでよかったな」としみじみ思います。忙しいけれど、本当に幸せな毎日です。
 でも自分の能力、体力に限界があるのも紛れもない事実。お陰様で、毎年少しずつではありますがお客様の数は増えて、このままでいくと仕事は増え、自分の力は落ち、グラフでいえばいつかそのラインが交差するときが来てしまう。「頂ける仕事は断らない」「自分の事務所を出ていく書類にはすべて目を通す」という私の主義を曲げなければならない日が、近い将来きっとやってくるのです。時間の問題と言えばそれまでですが、あー、本当にどうしたらよかんべぇ。

 なんてことを、確定申告が終わった週末に中央線の電車に乗りながらぼんやりと考えておりました。電車に乗ってどこに行くかって。決まってるじゃないですか、ヨドバシカメラですよ。というのも、私の心の中には、確定申告が終わったらどーしてもやりたい、と思うことが一つ溜まっていたんです。それはヨドバシカメラにいって、映像ソフトのコーナーに行って、アダルトビ、じゃなくて落語のDVDを買ってきて、それを酒でも飲みながらぼんやり見る、という実にささやかな楽しみです。
 なぜそう思ったのかはよく覚えていませんが、書類の山に埋もれてああでもない、こうでもないと七転八倒しているときに、突然、春風亭柳昇さんのお顔が頭に浮かんだような気がしないでもありません。

 春風亭柳昇さんってご存じですか。既に鬼籍に入られましたが、武蔵野市にお住まいだった著名な落語家で「え〜、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇といえば我が国では私一人でありまして〜」というのが枕ことばの、穏やかな、善人そのもののお顔をした方でした。正直なところ、弁舌さわやかという方ではありませんでしたが、でもそのほのぼのとした雰囲気がたまらない、今風に言えば「癒し系」の代表選手のような噺家さんでしたね。
 春風亭柳昇
 私、お笑いは大好きで、ここのところずいぶんご無沙汰していますが若い頃には新宿末広亭にも何度も通いました。奇術や漫才や古典落語などを間近で見聞きしていると、その空間全体が癒しそのもの。ドタバタ走り回ったり、客席から誰かを引っ張り上げたりするような過激なことはほとんどなく、手慣れた芸人が入れ替わり立ち替わり、目の前でいろいろな芸を見せてくれる。そういうスローで心休まる懐かしい空間に、きっと私は飢えていたんでしょう。
 残念なことに、ヨドバシカメラに目的のDVDはありませんでした。せっかく行ったのに、とがっかりしましたが、なんとTOWER RECORD新宿店で探していたものを発見してしまいました。若者中心のCDショップで落語とは妙な取り合わせでしたが、柳昇さんの作品もしっかり入手し、家に飛んで帰ってさっそく念願を叶えました。そしてそれを見ているうちに、私は昭和30〜40年代にタイムスリップしていきました。なんだか「三丁目の夕日」みたいだぁ〜。

 あの頃。日曜日の我が家では、母親が毎週のように塩鮭の切り身を焼いていました。まさか毎週鮭だったわけではないんでしょうが、記憶はどんどん誇張され、私の思い出の中では、日曜日の昼食といえば決まって塩鮭の切り身です。私、鮭のおにぎりとか鮭茶漬けとか今でも好きですけど、でも目の前に鮭が出てくると心の奥のほうから「何だよ、また鮭かよ。なんか他のものないの?」という子供時代の恨めしい記憶がよみがえってきて、どうしてもごちそうを食べているという気持ちになれない。きっと人が一生のうちに食べる鮭の切り身の数は決まっていて、私は小学生時代にそのほとんどを消費し尽くしてしまったに違いありません。
 話はそれましたが、小学生時代の日曜日、鮭を焼く臭いをかぎながら白黒テレビをつけると必ず「大正テレビ寄席」。定番でした。大正テレビ寄席というくらいだからスポンサーは大正製薬。「ファイトー!」「いっぱーーーつっ!」のCMは今も昔も全然変わっていないのですよ。
 そしてCMが終わると牧伸二さんがウクレレを持って登場してきて「あ〜やんなっちゃった、あ〜驚いた」と歌って司会をして、その漫談も面白かったですが、続いて登場する芸人さんたちが今にして思えばあまりに素晴らしいゴールデンメンバー達。林家三平、桂米丸、「山のあな」の三遊亭歌奴などなど、もー、ほんとに凄かったです。

 私、最近では脳細胞がスカスカになりまして、カラーで、ハイビジョンで、どんなに凄い番組を見ても次の日にはみんな忘れてしまいますが、あの頃の白黒放送の落語や漫才の中には、何十年経っても忘れられない素晴らしいシーンがいくつもあります。
 たとえばこんな小話はどうですか? 
 林家三平さんバージョンでは…
「♪好きです、好きです、好きです、好きです、よーしーこーさん♪」
「怖いんでしょ〜、松本清張の小説って」
「怖いのよ〜、ほんとに。奥様、これ読んでごらんなさいよー」
「キャー怖い!」
「それは著者の写真よ〜」  とか。

 桂米丸さんバージョンですと…
 病院の待合室にて
「これはこれは山田さん、お加減いかがです?」
「はあ、田中さん、ご心配ありがとうございます」
「そういえば佐藤さんのお顔が見えませんねえ」
「そうですねえ、言われてみればここのところお見かけしませんが…」
「どこか具合でも悪いんじゃないですかねえ…」  とか。

 なんて面白いんでしょう。最近のどぎつい、毒々しい、下らないお笑い番組と比べたら文学の香りさえしてきます。ちょっと言い過ぎか…。でもそのくらい「品のよさ」を感じてしまうのは私だけではないと思います。
 当時流行の松本清張という推理作家がいて、寄席の観客の多くがその作家の作品を読んでいて、かつ、その作家の顔まで知っていて初めて成り立つ小話。価値観が多様化しすぎて、世代間のギャップや経済格差があまりに大きくなった現代では二度と再現できない、古き良き時代の素敵な出来事だったというべきでしょうか。
 
 それにしても、いくら鮮烈だったとはいえ、何十年も前に聞いた他愛もない小話を私はなぜ今でも覚えているのでしょう。

 クロサワ楽器ドクターサウンドの宗形さんは、私にクラシックギターのいろいろなことを教えてくれる高い技術と才能を持った方ですが、その宗形さんでさえ「昔練習した曲はちょっとさらえばスラスラ弾けるんだけど、大人になってから苦労して覚えた曲はすぐに忘れちゃうんですよね」と仰ってました。うむ、確かに若い頃に脳に刻まれた記憶は、年を取っても消えないという傾向はあるようで、それが原因の一つ、ということはできるでしょう。
 でももう一つ、同じ小話を繰り返し聞いた、というのも重要な要素の一つであると思います。子供の頃、ものを知らない私は、落語家というのは頭の悪い人たちがなるものだと思いこんでいました。林家三平さんなどは、おでこに手を当てて「どーもすいません」を繰り返すワンパターンの権化みたいな人で、本当はもの凄く切れる人なのに与太郎の振りをしている。「また同じ話だよ」「他にないのかね」「バカじゃないの?」というような誹謗中傷はきっと多々あったと思いますし、現実に私もそう思っていました。
 でも大人になって初めて分かったことですが、大衆のそういう心ない批判を向こうに回して一つのことをやり続けるって、本当に大変なことですよね。人が何と言おうと同じ枕ことば、同じ小話をしゃべり続けるというのは、よっぽど無神経な人でない限り相当勇気の要ることではないでしょうか。

 私の愛するジャズギタリスト、ジョン・ピザレリさんも、いつだったかステージで「I Like Jersey Best」という曲がヒットしたら行く先々でこの曲のリクエストをされてヘトヘトになったというようなお話をされていましたが、実は観客は小馬鹿にしつつもそのワンパターンを期待している。もうすぐやるぞ、もうすぐやるぞ、ほらやった!といってワーッとなるわけで、演じる人はそれに飽きてはいけないのですね。
 振り返ってみれば、「ファイトー!」「いっぱーーーつっ!」だって、「春風亭柳昇といえば我が国では私一人でありまして」だって、みんなワンパターンの代表選手のようなものです。大正製薬担当の広告代理店では、「そろそろ変えてみる?」というような議論が繰り返し行われたのかもしれませんが、ここまで続いてしまうと、もう変えようがないし、「ファイト一発!」と来れば「リポビタンD!」と日本人の多くが反応してしまうまでに成長してしまうと、ワンパターンがトレードマークにさえなる。

 藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーになり、私も拝読しました。藤原さんの主張される、男系男子が皇位を承継するのは千年単位で続いてきた日本の歴史であり伝統であって、これを平成の民がそのときの流行りで変えることなど許されるはずがない、という考えには、大変大きな説得力があります。確かにこういう問題は、男女平等とか開かれた皇室などという考え方とは次元の違うところに存在しているように思いますし、ある時代の民衆が多数決で決定すべきことではないと、私も考えます。
 ワンパターンを徹底して繰り返せば、歴史上の一つの法則さえ生まれてくる、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、でもワンパターンというのは実はすごーく大切なことだということに、私、恥ずかしながら最近になってやっと気がつきました。テレビの出演者が同じ服を二度と着なかったり、人と会うときの話題づくりのために新しいネタを一生懸命仕込んだりなど、ちょっと意味が違うかもしれませんが、平和ボケした現代日本人の愚行とバッサリ切り捨てましょう。というわけで今月の一押しは、「我が国では私一人」といえば「春風亭柳昇」と言われるまでに徹底して繰り返したい「ワンパターン」でした。

 よーし、私も今度からレイトリーに行ったら「須田といえばこの曲」と言われるくらいに同じ曲を歌い続けるぞ〜!え?もうワンパターンになってる?いや、そんなはずはないと思っていたんすけど…

 


HOME ・ LIST ・ TOP