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今回の一押しは「山の辺の道」だあ!

2006年07月29日

 みち。漢字では「道」とも「途」とも書きます。この言葉から、皆さんはどんなことをイメージされますか?手許の辞書によれば、道とは「@地面のうち人や動物が往来を繰り返すうちに踏み固められた、ある幅を持つ長いつながり、Aそれぞれの目的によって決まった段階を経て進み、予想される障害を乗り越えて完成することが要求される専門の仕事・分野(道を究める、この道一筋)、Bどんな方法で行けばどんなところに到達するかという見通し(生活の道)、Cそれを踏み外すと反社会的行為として指弾を受ける行動の基準(道ならぬ恋)」とあり、実にさまざまです。

 人生は旅だと言われますが、@の意味の物理的な道を歩くという行為は、人が自分の一生をぽつぽつと過ごしていくこと、すなわち時間の道を歩いていくプロセスにイメージが重なります。目の前の道が右と左に分かれているように、人生にもいくつもの分岐点があり、どちらかを選べばもう片方は経験できません。それでもその途中でさまざまな出来事や出会い・別れがあり、その記憶はまるで街道のように記憶の中に連なっています。
 道という言葉から、誰もが何となく切なく、ときには悲しい、そしてときには懐かしい、感慨深いある種のエモーションを想起させられるのは、その意味では当然といえば当然のことなのですね。

 絵画でも、道をテーマにしたものがいくつもあります。私が最初に頭に浮かべるのは、日本画の巨匠、東山魁夷画伯のその名も「道」というタイトルがつけられたリトグラフです。ご存じの方も多いと思いますが、参考までにお見せするとイメージはこんな感じ。単純といえばあまりに単純な構図ですが、それだけに見る人に色々なことを想起させる実に奥行きのある作品です。この道をずっと進んでいったら、その先には何があるんだろう。「終点」の看板かしら(笑)。

   
 東山画伯の「道」          高田画伯の「帰巣」

 もうひとつ、私がたまたまオークションで手に入れた高田保雄さんという方の作品もお目にかけましょう。タイトルは「帰巣」といいます。夏の夕暮れを描いた穏やかで実に美しい油絵で、私はこれを一目見た瞬間に何とかして手に入れよう、と決意してしまいました。何というか、子供の頃にバッタやトンボを夢中になって追いかけた、草の匂いがむんむんと漂うあの空間そのものがそこにあって、そして中心には家へと続く道が描かれている。私の大切なコレクションの一つです。

 さて前置きが長くなりましたが、今回は道についてお話しさせていただきたいと思います。というのも今月の初旬、私は二年越しの計画を実現して、奈良県の「山の辺の道」を歩くことができたからです。
 今年の長雨は各地に大きな被害をもたらしました。しかしお忘れの方もいらっしゃるかもしれませんが、昨年の梅雨もかなりの雨量だったのです。私は毎年七月に関西に出かける仕事があり、その前後に京都奈良の観光を個人的に企画しておりまして、昨年は「山の辺の道」走破のためトランクにスニーカーまで忍ばせていったのですが、四国地方に居座った梅雨前線の総攻撃を受け、無惨にも敗退いたしました。今年の雲行きも相当怪しくて、いや〜な予感がしたのですが、連敗だけは避けたいと週末の二日間のスケジュールをフリーにし、天気予報とにらめっこしながら雨雲が別のところに攻撃を仕掛けている間隙を縫って、素早く京都発天理行きの近鉄電車に乗車したのでした。


 近鉄京都線「京都駅」

 「山の辺の道」は、奈良と桜井を結ぶ全長30q近い道です。沿道には古墳が数多くあり、また香具山、畝傍山、耳成山の大和三山を借景とする美しい田園風景が続く、日本最古の道と言われている街道です。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる大和しうるわし」と歌われた、古事記や万葉集のふるさとなのです。
 ガイドブックによれば、天理市にある石上(いそのかみ)神宮とそうめんで有名な三輪の町を結ぶ約16qほどの区間が一般的なハイキングコースである、とのことでしたので、私は天理を出発点とし、ひたすら南下する街道を歩いてみることにしました。
 「みることにしました」と言っても、実は私、この地を訪れるのは二回目で、記憶が正しければ高校の修学旅行以来、ということになります。それにしても私が高校生の頃は、一日に10q以上も歩かせるタフな旅行をしていたんですね。
 話は飛びますけど、最近の修学旅行は大型観光バスではなく、四人一組でタクシーをチャーターというのが一般的なようで、京都の街を歩くと、年輩の運転手さんがピアスしてニワトリみたいな頭をした子供たちに一生懸命京都の歴史を教えている光景をあちらこちらで見かけます。子供たちは聞いているんだかいないんだか、張り倒したくなりそうな態度の子も結構いたりして、つまらないところで時代の変化を感じてしまいます。

 さて山の辺の道ウォーキングのスタートは石上神宮です。ここは何故か、境内にニワトリが沢山います(こちらは本物です)。資料によればすべて雄だとか。さすがにいい声で鳴いており、縁起がいい感じ。期待に胸が膨らみます。標識を頼りに、いよいよ歩き始めますよ〜。

    
  石上神宮の本殿             縁起のよさそうなニワトリたち

 と思ったら。もの凄い雨が降ってきました。写真では分かりづらいですが、グァムのスコールよりひどいんじゃないか思うくらい。こりゃたまらん、と大きな柿の木の下に逃げ込み、誰もいないところで15分くらいポツンと立っていました。くっそー、折り畳み傘ってなんでこんなに小さいの?うわ、道が突然川になった。ズボンは裾の方からびしょ濡れになっていくぅぅぅぅ。助けてくれー。今年も雨雲にやられたかー。この先はきっとコンビニなんて当分ないだろうし、どうしようかなー、帰ろうかなー。と、迷いに迷って、一旦引き返しかけたら、だんだん小降りになってきました。スタートを30分ほどロスしましたが、ここで負けたらチャンスはないと思い、思い切って南下を始めます。

  
  土砂降りの雨(泣)

 うれしいことに雨は上がり、驟雨のお陰でさわやかな空気が流れ、田園の緑もその深さを増したように見えます。おっしゃー、ついに来たぞ、山の辺の道だー、最古の道だー、国のまほろば(古語。すぐれたよい場所の意)だー、というわけで足取りも軽く快適に進みます。
 ご覧下さい、美しい田園風景。道はひたすら続き、花は咲き乱れ、写真では分かりませんが空にはヒバリがさえずり、道路の脇では用水が美しいせせらぎの音を立てています。水たまりのできた畦道なんて何でもないただの風景ですが、日頃アスファルトの道しか歩いていない私にとってはすごく懐かしく、もうそれだけで心が洗われるような気持ちに浸ってしまいます。

    

    
 
 念のために地図を用意していきましたが、要所要所に親切な標識が立っていて、慣れてくると、そんなものは必要ないということが分かってきました。たとえば下の写真には、←→のマークがついた標識がありますが、これは次の交差点は右折も左折もせずに真っ直ぐ行きなさい、という意味です。次の観光ポイントまでの距離も書かれています。標識が立てられないところには、道路にマークが打ち込んであります。さすが日本、どこに行ってもかゆいところに手が届くような親切さ。これじゃ迷いようがないや〜。雨雲も確実に去って、思わず鼻歌が出てくるような浮き浮き気分です。

    

 山の辺の道には、有名な旧跡がいくつもあります。代表的なものをいくつかピックアップすると、夜都伎(よとぎ)神社、崇神天皇陵、景行天皇陵、大神神社など。それぞれに歴史がありますが、率直なところ、どこもさびれており、それが観光の目的というわけにはちょっといきませんね。天気のせいもあったでしょうが、とにかく人がほとんど歩いていないんですから。
 余計な説明は省略させていただいて、スーパーもコンビニもない、とにかくのどかで素朴な「道」の風景を少しお楽しみ下さい。

    

        

 とはいうものの、この街道は山の中を黙々と歩くわけではありません。景色は時々刻々と変化し、あるときは田圃のど真ん中、あるときは薄暗い木漏れ日の道、そしてまたあるときは人家の間を縫っていくような裏道、と実に多彩で、少しも飽きることがありません。
 ところが「あ〜楽しい」と歩いていたら、その先で私は恐ろしいものを見てしまったのです。ギャー恐いー、生首が宙に浮かんでるーーー。助けてくれー、とよく見たら、なーんだ、これはカラスよけのおもちゃでした。

  
   
 あーびっくりしたー、しかしすごい景色だなー、とニヤニヤしながら歩いていたら、うわーーー、今度は本物だーーー、カ、カ、カラスの土左衛門が吊されてるーーー。この辺りの方はカラスの被害に相当腹を立てておられるのですね。いやー、なかなかの光景でした。気分転換に春日大社のシカちゃんの写真でもどうぞ。関係ありませんけど。

    

 このように山の辺の道は、行く先々に素敵な風景が広がり、歴史散策と田園ウォーキングを同時に楽しめる一粒で二度おいしいグリコのようなところです。朝7時半に京都を発ち、半日歩いて、帰りには奈良に寄って春日大社のてっぺんまで登り、大仏殿は南大門まで行ってUターンして、夕方6時くらいに京都に戻りました。
 推定歩行距離は約20q。さすがにくたびれましたが、その後四条河原町の京料理店でいただいたハモ落としと若鮎の塩焼きで身も心も癒されました。ほんまにいいところやで〜奈良京都は。というわけで今月の一押しは「山の辺の道」でした。 

 今ふと思い出しましたが、「みっちゃんみちみちうん○して」という歌がありましたね。この「みちみち」は、みっちゃんの愛称「ミチ」を繰り返しているのかしら。それとも「道々」ということなのかな。いや、もしかして「ピッチピッチチャップチャップランランラン」と同じようにリズムを取っているだけなのかも。
 どーでもいいことだけど、急に疑問になってきた。困ったなー、また調べなきゃならないことが増えちゃったぜい…

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