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今回の一押しは「イサム・ノグチ」だあ!

2006年08月29日

 世の中に悪いヤツはたくさんいますが、この人も相当なものです。

 18歳でアメリカに渡り、さまざまなアルバイトを重ねながら当地の学校に通ううちに英詩に関心を持ち、やがて詩人を目指して修行を重ねる。まあ、ここまではいいでしょう。満足に言葉も通じないであろうに、向学心に燃え、単身でよくやっています。しかしどうしても言葉の壁がうち破れず、英語で書いた詩を添削してくれる協力者を募集したら、その求人にたまたま応募してくれた人が独身の女性(もちろんアメリカ人。Aさんとします)だった。年も近いし、仕事の協力関係を継続しつつ、やがて一線を越えて男女の仲になる。ま、これもたまにはある話です。

 しかしけしからんのは、それと並行してワシントンポスト紙の記者を勤めるインテリ女性(Bさん)と恋仲になり、その女性に求婚を続けていたということ。もちろんAさんとの関係はひた隠しにして。
 ところがそのうち、Aさんのお腹が大きくなる。そのことを知ってかどうか、この男は構わずBさんをくどき続けて日本に連れ帰る約束をし、Aさんをほったらかしにして、Bさんより一足先に日本に帰ってしまうという大胆な行動を取ります。なかなか真似できるものではありません。そしてその2ヶ月後、かわいそうにAさんは一人で男の子を出産したのです。
 それは今から100年ほど前、1904(明治37)年11月17日の出来事です。その男性は、野口米次郎といい、ヨネ・ノグチの名で日米両国で名を馳せた詩人でした。そして産まれた子に、米次郎は「勇」という名を付けました。今回お話をする「イサム・ノグチ」の誕生です。

 イサム・ノグチは、その後、1988年12月30日に84歳の生涯を閉じるまでの間、世界を駆けめぐり精力的な活動をした、素晴らしい芸術家です。その活動領域は彫刻に始まり、照明器具や家具などの工業製品のデザインから庭園設計に至るまで実に多岐にわたっており、「なに屋さん」と一言でくくることができません。
 ご存じない方もいらっしゃるかも知れませんが、ちょうちんの形をした照明器具って見たことありませんか?こんな感じのやつですけど。

  
 AKARI SERIES      イサム・ノグチ

 これは、類似品もあるのかも知れませんが、すべてイサム・ノグチがデザインしたAKARIシリーズという作品です。
 このようにイサム・ノグチの作品は、そのデザインが工業製品化されて市販されたり、商業ビルや公共施設のモニュメントとしてごく身近に眺めることができたり、あるいは広大な庭園や公園などの設計プランとしてその中に足を踏み入れることができたりと、美術館や博物館の奥深くに鎮座している、いわゆる「芸術作品」とはちょっと趣が異なります。
 小さなものから大きなものまで、どれも非常に親しみやすく、それでいてものすごく独創的で洗練された、正しく芸術家の作品なのです。

 しかしイサム・ノグチの人生は、その美しい作品群とは裏腹に、特に少年時代は辛く苦しい日々の連続であったようです。冒頭で述べましたように、日米の混血児でしかも私生児としてこの世に生を受けたイサムは、当然のこととして父を頼って母とともに2歳で来日します。しかし野口米次郎という父親は、どういう考えの持ち主だったのか、既に日本人の女性と結婚していました。
 このため母親は、言葉に苦労しつつも日本で住居を求め、幼な子を女手一つで育てていかなければなりません。常に孤独と闘い、貧困と闘う母親の苦労は、想像を絶するものであったに違いありません。
 そしてイサム・ノグチ自身も、父親に拒絶され、近所の子供たちからは「合の子」と虐められ、孤独と闘っていました。それは、日本が世界を敵に回して愚かな戦争を行った時代背景と重なり、アメリカにあっては敵国の血が流れていると排斥され、日本にあってはアメリカ人の合の子と侮蔑されるという、まるで火に油を注ぐような状況であったようです。
 生前のイサム・ノグチはなかなか気難しい人柄だったとのことですが、それは芸術家であるからという以前に、世界のどこにも自分の居場所がない、壮絶な半生に由来するところが大きいのではないでしょうか。

 しかしイサム・ノグチは、その後支援者にも恵まれて13歳で単身渡米してコロンビア大学に学び、さらに奨学金を得てパリに渡り、ブランクーシに師事して芸術家としての感性を磨いていきます。そして世界的な芸術家に成長し、日本に関して言えば著名な建築家である丹下健三氏と共同で仕事をしたり、女優・山口淑子(李香蘭)と恋に落ち、1951年に結婚するなど、その交友関係も実に華やかで多彩でした。
 かなりの年令になっても女性関係も絶えることがなかったとのことで、英雄色を好むと言うべきか、蛙の子は蛙と言うべきか、本当に様々な点でスケールの大きい人であったようです。

 私はつい最近まで、正直なところ、イサム・ノグチという名前をおぼろげには知っていましたが、その人がどんな人であるのか、どんな活躍をした人なのか、あまり意識したこともなければ注目したこともありませんでした。
 ところが過日、札幌を旅行した折に、札幌市の郊外に「モエレ沼公園」という素晴らしい施設があると聞き、ここを訪れたことでイサム・ノグチと出会うことができたのです。

 「モエレ沼公園」という語感からは、自然の沼地の周囲に遊歩道でも巡らせた、尾瀬沼のような景色を想像します。しかし現地は、もともとゴミ処理場だったところを埋め立てて開発した、全くの人工施設です。そしてその設計を担当したのがイサム・ノグチで、彼の「公園をひとつの彫刻とする」というダイナミックな構想により造成が進められ、完成したものなのです。
 公園の中央には「モエレ山」という大きな山があります。私は未だにこれが人造のものとは信じられないのですが、そのくらいスケールが大きく、頂上に登るのには結構な体力が必要です。そしてその頂上から眺める札幌市の景色は、周囲360度が大パノラマとなって迫り、東京人には想像がつかないくらい美しいものです。
 空気はどこまでも澄み、太陽の光は燦々と注ぎ、豊平川のせせらぎは美しく陽光を反射しています。遙か遠くの山並みを望むと、雲間から大地に向けて太陽の光がスポットライトのように注いでいる自然の大スペクタクルが、まるでターナーの絵画のように眺められます。初めてここに登ったときには、その美しさに心を奪われ、しばらく動くことができませんでした。

   
  モエレ山遠景             モエレ山の反対側から

   
  モエレ山山頂 強風でした       山頂からの絶景     

 モエレ山を下ると、その先にはいくつもの建造物があります。
 「ガラスのピラミッド」の内部には公園の管理事務所やイサム・ノグチのギャラリーが設けられ、来訪者の休憩室的な役割も果たしています。

   
  ガラスのピラミッド           ピラミッドの内部

 「海の噴水」は、運良くショータイムに居合わせると、円形の池がまるで宇宙船のような動きをして、観客の目を楽しませてくれます。たっぷりと溜まっている水が急速に消えてなくなり、続いて間欠泉のように見事な水柱を吹き上げる様はまるで生き物のようで、一般の噴水とは趣を異にする「水の彫刻」となっています。
 その先にある「プレイマウンテン」は、傾斜を緩やかにしたピラミッドのような建造物で、遠くから見ると古代遺跡のようです。そして何より美しいのは、この公園を包む爽やかな空気と緑です。家族連れで、あるいはペットとともにゆったりとした時間が過ごせる札幌市民の皆さんが本当にうらやましいと思いました。

   
  豊富な水が…             やがて湖底に吸い込まれ…

   
  宇宙船のように            見事な水柱です

   
  古代遺跡のようなプレイマウンテン   リズミカルな植裁
  
 私はこの公園の売店で、ドウス昌代さんという方が著した「イサム・ノグチ−宿命の越境者」(上下2巻、講談社文庫)という本を買いました。膨大な資料を読破し、イサム・ノグチの訪れた地を丹念に取材して彼の生涯を追った、大変な力作です。
 私はこの本を読んで、ドウスさんの仕事の素晴らしさに感銘を受けると同時に、イサム・ノグチという人の壮絶な生涯を知って、大きな衝撃を受けました。
 もしかすると、というより恐らく確実に、イサムの母親(レオニー・ギルモアという方です)の人生は、野口米次郎と出会うことがなければもっとずっと平坦で幸せなものであったことでしょう。しかしその二人が出会ったことで、私たちがイサム・ノグチという優れた芸術家を得ることが出来たのも事実です。

 そしてイサム・ノグチ自身も実に恋多き人でした。人の世は、モラルだけで仕切れるものではありません。私たちは未来に向かっては、「こうあるべきだ」という理想と観念で思考しますが、彼の生き様を見ていると、結果として生じてしまったことはこれを素直に受け入れて共存していく度量が必要であるようにも感じます。
 人という生き物は非常に優秀であると同時に、ものすごく身勝手で矛盾に満ちあふれています。しかしながら、こんなことをしたら誰かに迷惑をかける、というような心配ばかりしていたら一歩も前には進めません。結果を恐れず、信じた道を迷わず突き進む。時にはこういう勇気も欲しいですよね。というわけで今月の一押しは、私に人生の大きさを教えてくれた「イサム・ノグチ」でした。

 私、モエレ沼公園の売店で、本と一緒にイサム・ノグチがデザインした照明器具も買ってしまいました。これが蛍かテントウ虫みたいでとってもかわいいの。早速家で組み立てて愛用しているのですが、それを眺めながら来し方の多くの過ちを振り返っています。
 あそこでなんで早振りしたのかなぁ、とか。もっとカツンと打てば入ったのになぁ、とか。でも我がホームコースのゴルフ場では、大叩きをすると優しいキャディのお姉さまが「須田さん、出来ちゃったことをくよくよ悔やんでも仕方ないじゃないの。みんなあんたが悪いんだからさぁ!」と慰めてくれます。さすが人生の達人、やっぱりお姉さまにはかなわないわ…

   
  かわいいホタルちゃん

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