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今回の一押しは「東京大学のアルバート・アイラー」だあ!

2006年09月29日

 最近の私は、「持つべきものは友」だなと実感する機会に恵まれています。仕事で困ったときの相談相手として、あるいは新たなおつきあいが始まるクライアントとして、気がつけば学生時代の友人が目の前にいる、というありがたい経験を何度かしております。
 長いこと旧交を温めてきた親しい友人は言うまでもありませんが、昔はそれほど親しくなかった人でも、お互い孤独な仕事を続けているからなのか、そもそも人生とは孤独なものであるからなのか、同窓というだけで何というか心安らぐものを感じてしまう。なんだか不思議なことですが、だからこそ持つべきものは友、ということなのでしょうか。

 先日も、とある高層ビルの夜景がきれいな料理店で、大学時代の友人と二人で酒を酌み交わしておりました。一緒に食事をするのは本当に久し振りのことだったのですが、いまや大きな会社のトップに納まった彼は、仕事中は経営者の風格をまとっているものの、酔うに連れてその表情は素顔に戻り、話し方も雰囲気も二十歳の頃の面影そのままとなってくれました。
 昼間、周囲に部下がいるときは、私も「社長」などと他人行儀な呼び方をせざるを得ず、そうなると言葉遣いまで敬語になって、何だか態度までギクシャクしてしまいますが、心許せる時間になるとあっという間に学生時代にタイムスリップして、実に気楽で楽しいひとときなのでした。
 
 そんな中、何の話からの連想だったのか、彼が突然「須田さぁ、バトーノカバチャンって知ってる?」と私に尋ねてきました。「バトーノカバチャ?何だそれ…」今まで一度も聞いたことのないサウンドです。どんな字が当てはまるのか、全くイメージがつかめません。ポカンとしている私に、「帰ったらネットで調べてみな」と言いつつ、彼はテーブルの上のナプキンにボールペンでサラサラっと「馬頭のカバちゃん」と書いてくれました。
 全く便利な世の中です。酔っぱらっていても、とにかく手かがりになるキーワードさえメモしておけば、インターネットで目的のところにだいたいたどり着ける。私もその翌日、何のことだかよく分からなかった「カバチャ」から、「馬頭のカバちゃん」という樺島弘文さんという人の著作を買うところにまでたどり着いてしまいました。

 友人が紹介してくれたこの本は、樺島弘文さんという著者が、家族の反対を押し切ってサラリーマン生活をかなぐり捨て、一家で田舎に移り住む実体験を記したドキュメンタリーです。その宣伝文によれば、「著者の年齢は団塊世代よりは一回り若い、現在50歳。4年前に一大決心をし、ビジネス誌「プレジデント」の出版部長という肩書きと、1300万円という年収を捨てて、日本の昔ながらの風景が残る山里の栃木県馬頭町に移り住んだ。そこでのんびりとした田舎暮らしを送ろう…としていたのだが」とあります。
 なるほど、馬頭町に移り住んだカバシマさんの話だから「馬頭のカバちゃん」なんですね。大橋巨泉さんの「人生の選択」ではありませんが、「早期リタイア」とか「悠々自適の生活」などという言葉にあこがれる人々に強くアピールする内容となっているようです。
 そうだ、思い出した。友人の彼とは残り少ない人生をどう生きるか、みたいな話をしていたのでした。おそらく誰もが、社会人としての終点が見え隠れする年齢に近づくにつれて「足腰立つうちにもう一旗揚げたいよなぁ」とか「晴耕雨読の生活にチャレンジしたいなぁ」などと考えるもののようですが、この樺島弘文さんという方は、驚いたことに46歳という現役バリバリの年に、社会人としての地位をかなぐり捨てて本当に田舎に行っちゃったんですね。すごい勇気というか無謀というか…。

 でもその生き方はものすごく興味をそそります。当然のことながら私も、インターネット書店のAmazon.co.jpから、マウスのワンクリックでこの本を購入してしまいました。支払いはカード決済、待つこと二日で注文書は私の机の上まで運ばれてきました(事務所の入り口から机の上まで運んでくれたのは従業員のY君ですが)。しつこいですが、本当に便利な世の中になったものです。
 で。私、樺島さんの馬頭町での生活を綴ったこの「馬頭のカバちゃん(日経BP社)」を、むさぼるようにして読んでしまいました。種明かしをしては著者に申し訳ないので、詳細を書くのは遠慮しておきますが、なかなかユニークで示唆に富んだ著作です。人生たそがれてきたあなた、次はどこへ行くかを決断する選択肢の一つとして、ご一読をおすすめしますよ。
 でもちょっとだけ言うと、田舎はどこにもない、というのが結論かな。当然といえばあまりに当然のことですが、我が日本ではどんな田舎にも人は住んでいて、すべての地域に何らかの形でコミュニティが形成されている。そこにある日突然よそ者が移り住んだところで、物事はそんなに簡単に運ぶわけがありません。晴耕雨読の生活なんて、現実にはなかなか難しいのかもしれませんし、少なくとも私は、この本を読んでそのような選択をする気にはなれませんでした。

 というわけで「カバちゃん」の話はこれで終わりなのですが、それじゃあまりに素っ気ないので、この本を買うことになったAmazon.co.jpというサイトに絡むお話を少しさせていただきましょう。

 ご承知の方も多いと思いますが、このサイトで商品を検索すると「この本(CD)を買った人はこんな本(CD)も買っています」という画面が現れ、関連する売れ筋商品を次から次へと紹介してくれます。また、注文した商品が届いてから1週間くらい経つと、「お買い上げいただいた本はどうでしたか。お買い上げ品のご購入者はこんなものも買っていますよ」というようなメールが届いて、さらに購買意欲を刺激してくれる。実に素晴らしい工夫がされています。
 そのアナウンスは、本の場合にはたとえば文学書から美術書に飛んだり、ビジネス書の紹介だったりと、街の本屋さんでは想像もつかないようなジャンルに次々にジャンプします。足で歩いたのではきっとたどり着かないようなアイテムと、瞬時にして出会うことができるのです。

 私も、「馬頭のカバちゃん」から、どういう経路をたどったのか記憶が曖昧ですが、実に素晴らしい本と出会ってしまいました。それは「東京大学のアルバート・アイラー」という菊池成孔(きくちなるよし)さんというミュージシャンが書かれた本です。
 この「東京大学のアルバート・アイラー」という本は、菊池成孔さんと大谷能生さんという二人のプロの音楽家が、東京大学の教養学部でジャズについての講座を持ったときの講義録を本にまとめたものです。各章は一回ごとの講義内容という体裁をとり、文体もテープから起こした口語体の語り口で綴られているため、大変ユーモアに富み、分かりやすい内容になっています。
 ちなみにタイトルのアルバート・アイラーというのは、フリー・ジャズのサックス奏者で、まあ言ってみればキチガイの一歩手前というかほとんどデタラメみたいなすごい演奏をする人ですが、そういう人のCDを東大の教室で、しかも授業の中で流したぞ!という、ちょっとザマーミロ的なアイロニーを込めた、如何にも音楽家らしい表題になっています。

 本のタイトルもなかなかカッコイイですが、中身も本当に素晴らしい。私は久しぶりにというべきか初めてというべきか、とにかくジャズを含めた音楽というフィールドについて、これほど知的に、論理的に、かっこよく、分かりやすく、ボキャブラリー豊かに解説したものを読んだことがありません。
 以下、本の内容を受け売りで少しご紹介しますと…。

 音楽の歴史の中で、音楽を記号的にとらえて分析し、あるいは制作する体系を作り出そうとするムーブメントに3つの大きなピークポイントがありました。その一は「十二音平均律」、その二は「バークリー・メソッド」、そしてその三は「MIDI」です。
 「十二音平均律」というのは、ドレミファソラシドの下のドから上のドまでの間をきっちり十二等分して、一つ一つの幅が等しい12個の音程をオクターブの構成要素とすることです。その代表的なものがピアノの調律で、ご承知のようにピアノのオクターブには7個の白鍵と5個の黒鍵があります。すなわち足して12ですね。白鍵からはド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、黒鍵からはド#、レ#、ファ#、ソ#、ラ#の音が聞こえます(ミとファ、シとドの間はもともと半音に設定されているためミ#とシ#はそれぞれファとドにイコールなのでこれに対応する黒鍵は存在しません)。ギターの指板も12フレットで1オクターブとなるように設計されています。
 かの有名なバッハは、この調律の利点を駆使して「平均律クラヴィーア曲集」を作曲し、その後平均律は西欧社会で爆発的に広まっていきました。それまでは、現在の音階以外にも様々な音程がありましたが、この平均律がスタンダードになったことによって音楽は世界共通となります。すべての音程の幅が一律ですから、転調しても音が狂うということがない。実に合理的です。そして天才的な作曲家が次々に登場し、平均律に基づいて作曲した曲を五線譜という楽譜に記録する手法が確立され、楽譜さえあればどこでもその曲を再現できるようになりました。まさしく「記号化」の第一歩です。

 二番目のエポックは「バークリー・メソッド」です。これは20世紀の半ば頃からボストンにあるバークリー音楽院というスクールが教え始めた、ポピュラーミュージックを制作するためのメソッドで、平均律のシステム上で培われてきた様々な和声や旋律のバリエーションを、かなりシンプルな形に記号化・数値化して教えるという発想です。楽器をやる方なら、旋律が書かれた五線譜の脇にAからGまでのアルファベットが並んでいる楽譜を見たことがおありだと思います。「Bm(ビーマイナー)」とか「Fmaj7(エフメジャーセブン)」などというやつですが、ご存じの方も多いですよね?これは和音(ドミソなどの複数の音のブロック)を一目で分かるように記号化したもので、これこそバークリー・メソッドなのだそうです。

 それまでの楽譜は、様々な楽器が演奏する音を、一音ずつすべて記載していました。というより、演奏者は楽譜に書かれた音のみを鳴らす、というルールだったわけです。ところがバークリー・メソッドでは、「G7」などのように和音をシンボル化しました(このアルファベットのマークをコードシンボルと呼びます)。そしてコードシンボルは、最低限度守るべき音のルールを表すのみであり、したがってそのルールさえ守れば多少の変化・例外はオーケーだ、ウェルカムだというわけで、これがアドリブ(即興演奏)を命とするモダン・ジャズという音楽ジャンルの台頭にぴったりマッチしたのです。
 つまり作曲者から演奏者への指示を、1から10まで事細かに行うのではなく、曲の展開のイメージをたとえばDm7→G7→Cmaj7というシンボルで表す技術が登場したため、ジャズという音楽は理論的バックボーンを得、一定のルールの下で演奏者が自由にアドリブを展開するという形で発展したというわけです。

 三番目の「MIDI」については長くなりますので省略させていただきますが、一言で言えばコンピュータの発達に伴い、音楽をデジタル化する技術、規格が整ったということ。シンセサイザーでキーボードから曲を作ったり、録音された曲を後から切り貼りして修正することが簡単にできるようになり、その場限りのライブ演奏という音楽のスタイルに革命的な変化が起きた、というわけです。

 どうですか。ジャズという音楽を説明するだけのために、グレゴリオ聖歌から始まる膨大な音楽の歴史を実に的確に体系化し、クラシックからハードロックまでジャンルを問わず聞いて理解し、圧倒的な知識と洒脱な会話で分かりやすく説明する。私は心の底から「すげ〜」と感心してしまいました。
 実際の講義では、このような解説の合間合間に様々な曲を学生に聴かせ、立体的な解説がされたようです。あー一度でいいから聴いてみたかった。というわけで今月の一押しは、菊池成孔著「東京大学のアルバート・アイラー」でした。

 それにしても世の中は広いもので、知らないことがまだまだ沢山あります。私は、ジャズという音楽の特徴はアドリブにある、と思っていたのですが、先日、友人のピアノの上手な弁護士(法律に詳しいピアニストと呼ぶべきか)から、バロック音楽にもアドリブがある、という話を聞いてぶったまげてしまいました。
 「通奏低音(つうそうていおん)」というのがそれだそうで、チェンバロやオルガンなどの伴奏楽器奏者は、楽譜に付けられた和音を示す数字を見て即興的に演奏するのだそうです。なんだ、バークリー・メソッドと同じじゃん。ということはヴィバルディとデューク・エリントンは同じジャンルっつうこと?いよいよ混沌としてきちゃって、もう何が何だかよく分からんわ…

 

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