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今回の一押しは「ホルヘ・アリサ ギターリサイタル」だあ!

2006年10月29日

 人間誰しも、人生のうちに何回かは思いもかけない幸運な出来事に巡り会う、ということがあるようです。皆さんもきっとそういう経験の一つや二つはお持ちだと思うのですが、私も最近の出来事を振り返ってみると、チラホラとそんな記憶に思い当たります。
 たとえば、三鷹駅近くのラーメン屋でみんみらんぼうさんがタンメンを食べているのを見た、吉祥寺の街頭で楳図かずお氏がボーダーのシャツを着て歩いているのを見た、札幌駅前で三浦和義氏が映画の宣伝をしているのを間近で見た、など、枚挙にいとまがありません。

 いや、そういうことではないんです。そういうのは、まあちょっとは興奮しますけど、でも幸運でも何でもありません。かといって宝くじや競馬の馬券が当たる、というのも違います。何かを引き当てるために自分がアクションを起こすのは、「思いもかけず」という私の定義(それほど偉そうなものではありませんが)からは少し外れてしまいますので。
 思いもかけないラッキーな出来事というのは、私の場合、たとえば銀行のCD機の前に長蛇の列を作っていたら自分が並んでいる列の前の方の人が急用を思い出してごっそり帰ってしまったとか、自動販売機でジュースを買ったらおつりの出口に前の人が取り忘れた10円玉が入っていた、というような状況をいうのですが、実は先日、これに近い経験をしてしまったのです。今回はそんなお話を少し。

 ある日、私の携帯に見慣れない電話番号で着信がありました。出てみたら、私が親しくしているK楽器の店舗スタッフのYさんです。しばらくご無沙汰していましたのでうれしくなり、「おー、お元気〜?」と楽しく会話をしておりましたら、電話の用件はなんと私をクラシックギターのコンサートに招待してくれる話だというではありませんか。たいした上客でもないのに、と恐縮しましたが「須田さんの好きなジャンルとは少し違うかもしれませんが、きっと面白いので是非行ってみてください」とのこと。ありがたくお受けし、しばらく待っていたら自宅にコンサートのチケットが届きました。
 その券面には、麗々しく「ホルヘ・アリサ ギターリサイタル」と書いてあります。ホルヘ・アリサ?申し訳ありませんが、ジャズ、ボサノバの世界に生きている私には、まったく知識のないクラシックギターの演奏者です。アリサというくらいだから女性かな?なんて実にけしからん妄想が頭に浮かんでしまいましたが、インターネットで調べてみたらホルヘ様は男性で、しかもその世界では大変高名な人だということが分かってきました。

 ネット情報によれば、ホルヘ・アリサ様は1939年、グラナダ生まれ。14歳でギターを始め、その後マドリッド王立音楽院でレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ、セゴビアに学び、マドリッド王立音楽院を首席で卒業してタレガ国際ギターコンクール優勝。現在はマドリッド王立上級音楽院主任教授、という燦然と輝く経歴の方です。
 「王立上級音楽院主任教授」というのがどんなにすごい肩書きなのかは残念ながら私には分かりませんが、母校を首席で卒業して、しかも現在はその母校の「上級」音楽院の主任教授なんですから、そりゃ大変なものなのでしょう。ちょっと興奮してきました。考えてみれば私は、もしかするとクラシックギターの演奏というものをまじめに聞いたことがないような気がする。これはYさんの言うとおり「きっと面白い」に違いありません。なんだかコンサートの日が待ち遠しくなってきました。
 
 さて、とはいうものの、ここのところ税務調査の立会が多くて、てんてこ舞いの生活を送っておりまして、毎日が矢のごとく過ぎ去っております。日常業務をどうにか消化しつつ、雑誌の記事を引き受けたり、書籍の原稿を書き進めたり、ギターの練習をしたり、ギターの練習をしたり、ギターの練習をしたり、と寝る暇もないくらいで、気がつくと爆睡から目が覚め、あっという間に朝になってしまいます。なんでこんなに忙しいんだろ、とふとカレンダーを見たら、いつの間にかホルヘ・アリサ先生のコンサートの日になっておりました。
 場所は上野の東京文化会館小ホール。とある日曜日の夕方、私は原稿書きと草むしりを終えて、開演ギリギリの時刻に上野駅に降り立ったのであります。お腹がすいてきましたが、仕方がありません。そういえばこの前、道を歩いていたらどこかの定食屋さんに「お昼のランチおわりました」とデカデカと書いてありまして、なんか「頭が頭痛」みたいで微笑ましいなあ、と思ってしまいました。何の関係もありませんけど。

 東京文化会館小ホールは、小ホールとはいうものの座席数は650ほどあり、一番後ろからステージを見るとそれなりの距離があります。なんで一番後ろから見たかというと、座席が一番後ろだったからです。いえいえそのことに文句を言っているわけではありません。ご招待いただいておいて不満を持つほど私は愚かではありません。大変ありがたく貴重な体験と、空腹を抱えたまま開演の時刻を待ちました。ところがその後、予想すらしなかった本当に貴重な体験をしてしまったのでありますよ。

 定刻になり開演のブザーが鳴って、観客席の照明が徐々に暗くなると同時に、ステージにはまぶしいほどの照明が照らされます。ほぼ満員の観客席はさすがクラシック音楽ファン、大声を出す人もいなければ酒を飲んでいる人もいません。実にお行儀よく、上品に、演奏者の登場を待ち、アリサ様が登場するやいなや割れんばかりの拍手がわき起こります。 アリサ様は、ダークスーツに身を包み、知的で温厚そうな笑顔を浮かべつつ、しずしずとステージ中央に設けられた椅子の前に進み出て、一礼されました。そして椅子に腰掛け、6本の弦を順番にチューニングし、呼吸を整えるかのようにしばらく沈黙しています。

 あれ?このときになって私は大変なことに気がつきました。なんと、マイクもなければアンプもおいてありません。クラシックギターですからアンプがないのは当然のこととして、ギターの前にはマイクくらいあるんだろうと勝手に思いこんでいましたが、とにかく音を増幅する装置が全くないのです。
 え?650人の前で素のギターを弾くの?まじすか?と思った次の瞬間、遙か彼方のホルヘ様のギターから実に麗しい音色が響き始めました。これは大変な驚きです。私、大好きなジャズギタリストのジョン・ピザレリ様のコンサートに行ったときも、その音の小ささに驚いたのですが、その比ではありません。
 思い起こせば数十年前、高校生の頃にはレッド・ツェッペリンだのグランド・ファンクだのスリー・ドッグ・ナイトだののロックコンサートを片っ端から聞きに行きました。そのときはガイジンの演奏やパフォーマンスのかっこよさにも驚きましたが、それ以上にその大音響のすさまじさに度肝を抜かれまして、コンサートの後、数日間は耳鳴りが止まりませんでした。仮にそのときの音の大きさを100とするなら、ジョン・ピザレリ様のジャズライブは18くらいで、ホルヘ・アリサ様のリサイタルは0.6くらいでしょうか、ものすごく主観的ですけど。

 そんなことには関係なく、アリサ様は650人の前で、あの小さい楽器をピックでかき鳴らすのでもなく、指でつま弾いて、淡々と演奏を進められます。これは本当に大変なことです。そして驚いたことに、最後部の座席にいる私にも、その一つ一つの音が実に豊かに、美しく届いてくるのです。へーへーへーへー93へー、くらいの驚きです。私、ギターという楽器の今まで知らなかった一面というか、その能力、可能性に強い衝撃を受けました。もちろんいい楽器に限られるのでしょうが、クラシックギターって想像以上によく響き、大きな美しい音が出るんですね。
 とはいうものの、絶対的レベルで言えばやはり音はかなり小さめ。したがって誰かがくしゃみをしたり、携帯電話を鳴らしたりしたら、その瞬間にギターの音は消えてしまいます。必然的に、みんなじっと息を殺して音を立てないようにして聞き入っているわけです。ある瞬間、ギターの音もやんで、真空のような世界が訪れることがあります。650人といえば、40人のクラスが16学級分くらいですから、たとえて言えば学校の生徒が全員、何の音も立てずにじっとしているような状況です。自分の鼓動も聞こえるような気がする、そういう世界なのです。

 私が日頃聴いている音楽は、演奏者の前で聴衆が食事をしたり、酒を飲んだり、友達や彼女と会話をしたりして、一緒になって足でリズムを取り、手拍子を打って、もう思いっきりリラックスした雰囲気の中で進められるものです。それに比べたら、クラシックギターのコンサートの緊張感たるや半端ではありません。
 演奏が始まって10分くらいしてから、誰かが膝の上の荷物を落としてしまいました。その音がガサガサガサーッとホール中に響き渡ります。犯人は誰だ、名を名乗れ!というような雰囲気が漂います。私が勝手に想像しているだけですけど。
 こうなってくると今度は自分が何かをしでかすんじゃないか、と気が気ではありません。膝の上には鞄があり、その上にはコンサートのパンフレットが置いてあるのですが、これを落としちゃまずい、とそっと何度も握りしめます。万が一睡魔に襲われて寝息でも立てようものなら、もう生きていけないかもしれない。絶対に寝ないぞ、と心に誓います。もっとも緊張で眠気など吹き飛んでしまいましたが。

 前半はバロックの小品を中心に演奏が進められます。門外漢の私には、明確な起承転結が感じられません。ホルヘ様が顔を上げたので曲が終わったんだなと分かる、そんなレベルです。拍手がわき起こったその間に、咳払いをし、荷物を整え、手足を伸ばして次に備えます。
 ところが次の曲が始まった瞬間に、まずいことに背中がかゆくなってきました。なんで曲が始まる前にかゆくならなかったんだよー。ここで背中に手を伸ばしたら、衣擦れの音で隣の人ににらまれるかもしれないし、うー困った、椅子に背中を押しつけて、そっと上下動してみてもかゆみは治らないし…。でも必死でこらえ、どうにか我慢できそうな状態になってきました。
 と思ったら一難去ってまた一難、そういえば空腹だけど、お腹が鳴ったらどうしようという恐怖感が私を襲います。お腹って鳴るときは鳴りますよね、排水溝に水が吸い込まれていくように。以前、税務調査のときに、しーんとした事務室の中で女性の調査官がお昼近くになった途端にグルグルグルグルーと強烈な音を連発して、真っ赤な顔をしていたのを思い出しました。そのときは人ごとだから聞こえないふりをしていればよかったんですが、こればっかりは自分でコントロールできないし、まずいぞ、まずいぞ、まずいぞ、とドキドキしているうちに、また曲が終わりました。
 
 こうして強度の緊張感の中、ギターリサイタルはつつがなく進んでいきました。音楽の楽しみ方にもいろいろありますが、クラシックギターのリサイタルは私にとって実に衝撃的で、その場にいるときは正直なところ多少の苦痛を伴いましたが、後で振り返ってみるとかなり知的で高尚で、美術館を楽しんできたような幸せな気分に浸れました。というわけで今月の一押しは「ホルヘ・アリサ ギターリサイタル」でした。

 いやー、それにしても1時間以上音も立てず身じろぎ一つしないっていうのは、慣れていないとかなりの修行ですね。普段は咳払いしたり、いびきをかいたり、四六時中何かの音を立ててますから。この前なんか息子と二人でイタリアンレストランに行こうと思ったら突然しゃっくりが出始めて、これが全然止まらず、足早に立ち去ろうとする息子を「頼む、待ってくれー。ヒック」と追いかけてしまいました。これって相当怪しいよね…

 

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