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今回の一押しは「川瀬巴水」だあ!

2007年3月30日

 いよいよ本格的な春になりました。桜が満開です。我が家の庭でも、梅の花びらが散り、水仙やアネモネ、パンジーなどが満開となってその美しさを競い合っています。沈丁花はそろそろ終わりですが、それと入れ替わるようにツツジや椿がつぼみを膨らませてきました。

 いいですね、春って。今までじっとしていたものが一斉に動き出す感じ。我慢していた心を解き放ち、新しいこと、やりたいことに思いを寄せるこの感じ。何というか、すべてが右肩上がりになってくるような、期待感に満ちた素晴らしい季節です。
 花粉症の方にとっては大変辛いひとときでしょうが、生来鈍感な私は花粉の「か」の字も感じることなく、どこからともなく漂ってくる花の香りに心を弾ませています。
 
 毎年のことですが、この冬も年末調整から確定申告まで、お陰様で忙しい日々を過ごしました。仕事に恵まれて、内々では「確定申告とかけて台風と解く。その心は、来るのが分かっても避けようがない」なんて軽口を叩いていますが、本音を言えば、毎年仕事をいただけるのは本当に有り難いことと感謝しています。忙しいと愚痴をこぼしつつも、もしかしたら最後の申告書を作り終えて脱力感の中でボーッとしているときが、職業会計人としては一番幸せな瞬間なのかもしれません。

 今年も、仕事が一段落ついて、新聞を読むわけでも音楽を聴くわけでもなく、ただ遠くを眺めてボーッとしている至福の一時に、頭の中にさまざまな妄想が浮かび上がりました。まあ所詮妄想ですから、浮かび上がる次の瞬間には忘れてしまい、何だかすごくいいアイデアを思いついたような気がしたのに、「あれ?今何を考えていたんだっけ」なんて自問するようなことを繰り返していますが、でもそんな中で一つだけ、私の心に繰り返し湧き出たイメージがありました。それが今回ご紹介する「川瀬巴水」という版画家とその作品です。

 私と川瀬巴水との出会いは、リンボウ先生こと、林望氏が出版された「夕暮れ巴水」という本を読んだときに遡ります。1998年の出版物ですから、購入したのはもう随分前のことですが、川瀬巴水の版画の中から夕暮れを題材に取った作品をいくつか紹介しつつ、林望氏の詩あるいは散文が掲載された小品で、そこに掲載された版画の数々の美しさに心を奪われ、私はそれ以来ファンになって、ずっと気にし続けてきました。
 川瀬巴水という人は、明治16年に生まれ昭和32年に74歳の生涯を閉じるまでの間、その生涯を版画に捧げた人です。これは大変珍しいことで、画家というのはその多くがさまざまな手法に挑み、日本画、油絵、水彩、版画、彫刻など複数のものに挑戦していますが、川瀬巴水は、初期の段階を除いて、その生涯のほとんどを版画制作で貫きました。
 活躍の時期は、明治から昭和にかけてで、日本では忘れかけられた人という見方もありますが、海外では非常に高い評価を受けているようです。

 
    夕暮れ巴水

 一口に版画といってもいろいろなジャンルがありまして、たとえば掘る媒体によって「木版画」「石版画(リトグラフ)」「銅版画(エッチング、メゾチントなど)」などの分類があります。川瀬巴水は木版画、私の好きなもう一人の画家ベルナール・ビュッフェはリトグラフやエッチングの作品をたくさん残しています。
 また制作のプロセスでは、絵を描く人(絵師)、その絵を木版などに彫る人(彫り師)、彫った版にインクをつけて紙に摺る人(摺り師)、というようにそれぞれの作業を別々の人が分担する作り方(私は税理士。お呼びでないね)と、それら作業をすべて一人でこなすやり方とがあり、前者は江戸時代に発達した伝統的な工法、後者は最近のアーティストが試みているやり方で「創作版画」と呼ばれているようです。
 伝統的な工法は、大勢の人が関わるのでいわば印刷業の一種のようであり、作品をたくさん作ることが出来るメリットがある反面、絵師の感性だけで作り上げることはできず、一つの作品を複数の人が共同で作業しなければならない独特の難しさがあるようです。

 確かに、自分の筆でスーッと引いた線が、他人の手作業によって版面に浮き彫りにされ、さらに別の人がその時々の調子で色合いの異なるインクを塗りたくって作品にしていくのですから、絵師のイメージがそのまま形になるわけではないのでしょう。
 また、何しろ版画ですから、細い絵筆でチョンチョンと薄塗りするような器用なこともできないはずで、考えてみれば版画家というのは、そういう複雑な工程を頭に入れつつ原画を描くという、一種独特な技能を持った人なのかもしれません。
 川瀬巴水は、糸組物職人の長男として生を受けながら幼い頃から絵を好み、家族の強烈な反対の下、一時は画家になることを断念するものの結局は夢を捨てられず、家業が不振になったことが結果的には幸いして、世界的な作家に成長した、まさしく天才です。
 江戸時代に一世を風靡した、東州斎写楽や葛飾北斎、安藤広重などのヨーロッパにも大きな影響を与えた天才作家たちの驚くべき作品の数々。川瀬巴水は、これを大正から昭和の時代にかけて見事によみがえらせ、「新版画」というジャンルを築き上げました。全盛期は昭和5年から10年辺りだとのことで、「新」とはいうもののかなり古い作品ですが、とにかく美しくて、棟方志功のゴツゴツとした作風とは全く異なり、初めて見た人は大概「これ本当に版画ですか?」と驚かれます。

 
  馬込の月

 川瀬巴水のもう一つの特徴は、日本中を旅行して全国各地の何気ない風景を丁寧にスケッチし、その自らのスケッチに基づいて作品を制作している、ということです。
 先ほど御紹介した「夕暮れ巴水」という書物のタイトルにあるように、田舎の町の夕暮れの寂しい風景や、雨、雪などの自然をとらえた作品を好んで描き、また10円玉のデザインになっている平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂(巴水の時代は覆い堂がまだ木造でした)、清水寺の舞台など、私たちがよく知っている名所なども、正面からではなくちょっと脇にしゃがんで眺めたような視点で、気張らず、淡々と美しい作品にしています。芸術性は非常に高いのですが、同時に、まるで私たちがデジカメでパチパチと写したデータをカラープリンタで印刷したような、そんな親しみを感じる作品がものすごく多いのです。

 ほんとに素敵なので、私も是非一度本物を見てみたいと思っていたのですが、たまたま神田の古書店街を歩いているときに、そのホンモノの現物が販売されていることを知りました。うわ、まずい。また欲しいものを見つけちゃったと思いましたが、何しろ既に希少価値の高いものとなっている故、そんなにお安い価格で手に入るわけではありません。作品によっては100万円近くするものもありますが、それでも版画のいいところは油絵などの一点ものと違ってちょっと貯金すれば買えなくもない金額の範囲のものもぼちぼちあったりすることで、ほしー。ほしー。ほしー。ほしー。の衝動は高まるばかりなのでありました。

 
  松島双子島

 2,3年前、山田書店という版画を取り扱う書店に行きましたら親切な店員さんがいろいろと教えてくれて、朧気ながら巴水という人の作品の全体像が分かってきました。そのとき店員さんが見せてくれたのが「川瀬巴水木版画集」といういわゆるカタログレゾネというやつで、昭和54年に毎日新聞社から発行されたそれは立派な百科事典みたいな書物でした。「それ、いいですね」と言ったら、「申し訳ありませんが、これはお売りできません」と断られてしまい、欲しいなと心の片隅で思いつつ、でもインターネットで検索してもどこにもないし、そもそも絶版書なので取り寄せることも出来ず、それから何となく時間だけが過ぎ去っていったのでした。

 ところが今年。3月の初旬でしたか、税務申告の書類の山に埋もれているときに、ふと思い出してインターネットの検索エンジンに「川瀬巴水」と入力してみたら、うわ。大変だこりゃ、原書房という本屋さんのホームページに「川瀬巴水木版画集」が売り物として載っているじゃありませんか!!
 えらいこっちゃ。何年も探していたものが、ひょんなことから顔を出して、でも明日も明後日もその次もスケジュールは一杯だし、あーもしかして誰かに買われちゃったらもう二度と出会えないかもしれないし、どうしようどうしようどうしよう、と分離課税用の申告書を作りながら焦っていたのでありました。

 
  木版画集

 そして仕事のピークが過ぎたある日、取るものもとりあえず神田の書店に足を運んだら、ありました、ありました、まだ売れずに残っていたのです。シーンと静まりかえった古書店の中。どこからともなく少しカビ臭くも香ばしい書物の香りが漂っています。そんなアカデミックな空気の中で、その本を発見した瞬間に私の全身からは脂汗と冷や汗とガマの油がいっぺんに噴き出しました。もしかしたら「あ」くらいの声は出ていたかもしれません。
 そして2,3回深呼吸してから「こ、これ、下さい」とお店のおねーさんにお願いし、支払いを済ませて、私はその重たい本をフーフーいいながら抱きかかえ、ふたたびガマの油を発散しながら帰路についたのであります。

 
  平泉金色堂

 家に持ち帰ってからは、毎晩毎晩、その作品を眺めました。そしてようやくその全貌を理解しました。欲しい作品のベストテンも決まりました。本当に素晴らしいです。
 やはり欲しいのは風景画。それも銭湯の壁画(といっても若い人には何のことだか分からないでしょうが)みたいな富士山や帆掛け船などの題材のヤツじゃなくて、物静かな、光と影を感じさせる作品です。でも画集に載っているからといって、それが手に入るわけではありません。とにかく50年も前に亡くなった方の作品なのですから、どこにでも売っている、というわけにはいかないのです。
 情報網を張り巡らせ、画廊や古書店などに時々足を運び、在庫を見せてもらい、定期発行されるカタログを送付してくれるよう依頼し、インターネットで検索する。そういう地道な努力を積み重ねていくことが必要です。そして何より、欲しいものが見つかったら0.5秒で「はい、買います」と手を挙げる度胸と見る目を養うこと。これぞ修行です。私は、ギターとゴルフに続いて、もう一つ修行の道を見つけてしまいました。そして残りの人生をかけて、少なくとも5枚くらいは川瀬巴水の作品を入手し、あの世に旅立ちたいと思います。そんなわけで今月の一押しは、私に生きる希望を与えてくれた「川瀬巴水」でした。

 いやー、そんなことをいう間もなく、実は最近1枚ゲットしてしまいましたぞ。神田の某書店で発見したその作品は「小樽の波止場」です。うははははは。
 街灯がうら悲しい小樽港の岸壁で、二人の男がなにやら語り合っている、そんな構図です。いいじゃないですか、最高ですよ〜。光と影の具合といい、バランスの取れた構図といい、しかも我が愛娘が暮らしている北海道を舞台とした作品ですよ。私の希望をほとんどすべて叶えています。残念ながらまだ度胸と眼力がないので「はい、買います」と言うまでに30分ほどかかってしまいましたが、あまり迷うことなく手に入れてしまいました。
 これで娘に会えないときはこの絵を見て北海道を偲ぼう、なーんてと思っていたら、え?大学を卒業する?今度は愛知県に就職だ?はあ?お前ねえ、小樽の波止場はどうしてくれるんだよ…

 
  小樽の波止場

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