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今回の一押しは「ビュフェ美術館」だあ!

2008年10月31日
 

 素晴らしい季節がやってきましたね。

 天高く馬肥ゆる秋。温暖な過ごしやすい毎日が続いています。若い頃の私は、落ち葉が舞い散り何となく悲しい気持ちになる秋があまり好きではありませんでしたが、最近は自分の人生が秋にさしかかったためか(笑)、秋って素敵だなあ、と思うようになりました。
 庭の植木たちをつぶさに観察していると、ハラハラと落ち葉を散らすその梢に、既に来春に向けて新芽の準備をしているものも沢山あり、秋は決して悲しい季節ではないんだ、ということがこの年になってようやく分かってきたのもその一因かもしれません。ハラハラと抜け落ちる髪。でもその下には新芽が……ないかも……。いや、こういう話題はやめておきましょう。

 さて天高く、晴天の空にほうきで掃いたような絹雲が美しいある日、私は久し振りにビュフェ美術館を訪ねてきました。ビュフェ美術館というのは、静岡県長泉町に位置する、フランス人の天才画家ベルナール・ビュフェ(Bermard Buffet)氏の作品のみを収蔵し、企画展を除いては同氏の作品のみを展示しているとても素敵な美術館です。
 東名高速の沼津インターから10分ほど走ったところにある小高い丘のこの辺り一帯は、近年「クレマチスの丘」と改称してますます素敵な場所になりました。イチョウ並木が美しい街路を走っていくと、ビュフェ美術館、クレマチスガーデン、井上靖文学館などが木立の陰に散在し、クレマチスガーデンには味の確かなイタリアンや和食の料理店もあります。天気のいい日なら、車を降りてこれらの施設を徒歩で散策すれば、空気もよくて爽やかだし、軽い運動を兼ねたとても楽しい半日を過ごすことができます。また雨の日なら、美術館にじっとこもって、雨音を聞きながらビュフェの数多くの油絵や版画達と対話するのも悪くありません。 
 東京からだと日帰りのドライブにちょうどいい距離なので、私は年に1,2度、この地を訪れることにしています。


 美術館へ続く銀杏並木      美術館入り口 


 色とりどりの看板        美しい竹林を抜けて…

 ビュフェ美術館は、スルガ銀行の頭取を長年にわたって務められた岡野喜一郎氏の手によって、1973年に設立されました。インターネットで調べても情報があまり公開されていないので詳しいことは分かりませんが、岡野氏はスルガ銀行の経営者一族のお一人で、実業家であるにもかかわらずビュフェの作品に強い感銘を受けて作品を集め続け、ついには専用の美術館まで設立してしまった、ということのようです。

 岡野氏ご自身の言葉として次のような記述が残されています。
「顧みればビュフェとの出会いは、かれこれ四十年をこす昔のこととなった。その最初の出会いは、戦後はじめて彼の作品展が日本経済新聞により上野の古い都美術館で催されたときである。
 数年にわたる戦争から復員したばかりの私は、感動して彼の絵の前に呆然と立ちつくしたことを思い出す。その錆(さ)びた沈黙と詩情に、私は荒廃したフランスの戦後社会に対する告発と挑戦を感じた。当時のわれわれ青年を覆(おお)っていた敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を与えてくれたのが彼の絵であった。」
 
 それにしても、です。いくら感銘を受けたとはいえ、いくら銀行家でお金があるとはいえ、利殖や売買目的ではなく、まだそれほど高名ではなかったであろう一人の画家の作品を集め続け、ついには美術館まで作ってしまうというその情熱は、一体どこから湧いてくるのでしょう。見方を変えるなら、芸術という魔力は人の人生をも変えてしまうほど強い力を秘めている、ということなのでしょうか。
 以前にもどこかで書きましたが、私は「たくさん稼いでたくさん損する」とか「蓄財は技術、散在は芸術」という言葉を座右の銘としていますが、まさしく芸術そのものに散財した岡野喜一郎という人の見識の高さと情熱のパワーには、尊敬と憧れの念を禁じ得ません。

 でも美術館の設立に一番驚いたのは、恐らくビュフェ氏自身ではなかったのでしょうかね。だって地球の裏側の、敗戦国日本の一個人が、自分の作品だけを集めた美術館を作ってくれるなんて、大変失礼ながら「まともな話とは思えない」というのが普通でしょうから。
 岡野氏は1917年に生まれ1995年にこの世を去りました。そしてビュフェ氏は1928年に生を受け1999年に自らの命を絶っています。ほぼ同時代を地球の反対側で生き、普通ならお互いにその存在すら知ることのない二人の男性が、芸術という糸で結ばれ、そして両者の努力の結晶として見事な美術館が建設される。ビュフェ美術館は、立地も建物も非常に素晴らしいところですが、それより何より、両氏の生涯に関するそのストーリーにまず感動してしまいます。
 ビュフェ美術館のホームページ(http://www.buffet-museum.jp/)によれば、現在、同館には約2,000点(油彩・水彩・デッサンなど約500点、その他版画など1,500点以上)のビュフェ作品が所蔵されているとのことです。私もビュフェ氏の絵が好きで、オークションで安く手に入るときなどに少しずつ版画を集めていますが、やはり巨大なキャンバスに描かれた油絵の迫力にはかないません。人っ子一人登場しない荒涼とした風景画、強烈な太い直線で描かれる建物の輪郭、殴り書きをしたような空と雲、飛び散る絵の具で表現された海や樹木など、本物の作品を見ると、言葉を失うほどの強烈なパワーを感じます。本当に素晴らしいです。
 そして同時に、その作品数の多さもビュフェ氏の特徴として語られます。クラシックカー、クワガタや蝶などの昆虫、サーカス団の人々、皮膚をはがれ筋肉だけになった化け物のような人物等々、1940年代から60年代にかけての孤独で緊迫感にあふれる作風と比べると、後半期の作品にはグロテスクで意味不明なものも少なくありません。名声を得、富を得て、若い頃はアランドロンのような風貌だったのに、年齢とともに見る影もなく太っていった同氏及びその作品を酷評する専門家や美術ファンが多いのも事実です。


 美術館の遠景        壁面に飾られたサイン

 しかしこの人くらい絵を描くことに熱心で、生涯を絵画の制作に捧げた人はいないのではないでしょうか。まるで子供が無心に絵を描くように、対象を問わず、目の前に現れるものなら現実であっても夢であっても時には妄想であっても、そのすべてを絵筆でキャンバスに表現しようとする。他人の視線や評価などを超越した、本人だけにしか分からない孤高の世界がそこにはあります。
 晩年になって病に冒され、体の自由がきかなくなったとき、ビュフェ氏は次のようなコメントを残しています。
「老いることは決して悪いことではない。70歳になったとき、人生で一番幸せなときだと思った。私はいま何でも好きなことができる。前よりも穏やかになったし、日常の雑用もしない。絵描きになって生活できるのだから、描くことが大切なんだ。描けなくなったときのことを考えて、何回も自殺を考えた。自殺を考えない人間はバカだ。」

 絵を描くために生まれ、生涯に渡り絵を描き続け、それが実行できなくなったら自らの手で命を絶つ。ビュフェ氏の生涯は、彼が残した作品以上に強烈です。でも美術館が建っているクレマチスの丘は、そんなことをみじんも感じさせない実におだやかな場所でもあります。
 ビュフェ美術館の入口の脇には、「1人の天才の 才能を通じ この大地に 文化の花咲く ことをのぞむ」という銘板が掲げられています。岡野氏の言葉だろうと思います。二人の偉大な男は既にこの世を去りましたが、フランスで生まれ育ち後世に残る芸術を築き上げたビュフェ氏の作品は、遠く国境を越え海を越えて、遙か東方の我が日本の地に間違いなく根付いていくことでしょう。というわけで今月の一押しは、皆さんにも是非訪れて頂きたい「ビュフェ美術館」でした。

 
 
クワガタの像と…    蝶の像

 絵心のある人って必ずしも多数派ではないようで、ビュッフェって知ってますか?というと、私の経験では半分以上の人が「食堂車の?」と仰います。確かに固有名詞って難しいですよね。こおろぎ(興梠)さんという人がいるかと思えば、むかつく半島(向津具半島。山口県長門市)なんていうのもあります。そういえば先日、久し振りに帰宅した娘と近くのデパートでウインドウショッピングをしていましたら、何だか不思議なことを言っている場内放送が流れました。
 百貨店のアナウンスって、若い女の子が空気を漏らしながら頭のてっぺんから出すような不思議な声でしゃべるのが一般的ですが、そのいつものちょっと気取った声で「田中ばかお様〜。」と呼んでいるのです。
 ん? でも娘も同じに聞こえたのでしょう。父と娘はその瞬間、お互いの顔を見ながら「今なんて言った?」とハモってしまいました。そして耳を澄ませていたら再び「田中ばかお様〜。た、な、か、ば、か、お様〜。お連れ様がお待ちです〜。」と確かに言っているのです。二人は一瞬目を丸くして、そして大爆笑してしまいました。これって本当に実在の人だったのかしら…

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