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今回の一押しは「福翁自伝」だあ!

2009年4月30日
 

 先日ラジオを聞いていたら、読書好きのある人が「「体」という字は「人」と「本」と書くんです。ですから人にとって、読書はとても大切ですね」と仰っていました。

 ………。こういうコメントは評価が難しいですね。はっきり言えば、この説明は完全な間違いです。字の成り立ちとしては、体という字の中にある「本」は book の意味ではなく、土台や基礎などの「もと」を意味しているはずだからです。でも、人をハッとさせる独自の視点があり、話題としても面白い。だから「そんな説明、間違ってるよ」と切り捨ててしまうのも気が引けます。まあ適当に聞き流しつつ、読書を勧める話題の一つとして利用させていただく、という程度でしょうか。 
 ただこのコメントを発した方が、「読書をすれば、時代を超えてその著者と対話ができる」という意味のお話をされていたのには強く共感しました。というのも、最近読んだ福沢諭吉氏の「福翁自伝(ふくおうじでん)」という本で、私は「著者と対話ができる」ということを身を以て体験したからです。

 年が明けてから福沢諭吉に没頭している私は、周囲の人にも「学問のすゝめ」を読むよう手当たり次第にお勧めしています。しかし大方の反応は「難しくて何が書いてあるか分からない…」というものでした。確かに今時の文体に比べれば易しくはありません。しかしドイツ語やハングル文字で書かれているわけではありませんし、まったくもってチンプンカンプンということはないと思います。読み進むうちに「せざるべからず」というような明治時代独特の言い回しにも慣れてきて、読解力は加速度的についていくと思うんですね。
 そんなわけで是非チャレンジしてみていただきたいのですが、それでもダメだという人は、この「福翁自伝」なら絶対に大丈夫です。本当に面白いので、是非一読されることをお勧めします、というか読まないと損です、いや読まなければいけません、つーか、いいからつべこべ言わずに読め!

 失礼しました。少し興奮してしまいました。
 
 「福翁自伝」がなぜ面白いかといいますと、そもそもこの本は、福沢諭吉氏が自らの人生を振り返り、その激動の生涯に起きたさまざまな出来事について語ったものなんです。二百数十年の鎖国の眠りから覚めた日本人が浦島太郎のようにアメリカやヨーロッパを旅行した、その当事者の口から珍道中のさまざまな話が聞けるのですから、たまりません。
 しかもこの本は、福沢氏が文語体で格調高く著述したものではなく、ご本人が語ったそのままを速記者が記録し、それに福沢氏が加筆補正して本の体裁に仕上げたものなのです。したがってこれを読んでいると、目の前で福沢先生がお話をしてくれているような錯覚に陥ります。まさしく著者と対話ができるような感じがするのです。「せざるべからず」なんて難しい言い回しは全くありません。昔話をしてくれるおじいちゃんの、穏やかな語り口を聞くような感じです。
 さらに福沢氏といえば、何せお札に登場しちゃうくらいですからものすごく頭がよくて堅物な感じがしますが、この本を読むと意外にそうでもないことが分かります。酒が好きでたまらないとか、血を見ると卒倒しちゃうとか、なんだか普通のおっちゃんみたいでものすごく親近感が湧いてきます。このような次第で、「福翁自伝」という本はとにかくものすごく面白いのです。

 いくら力説しても何のことだか分からないかもしれませんので、以下にいくつか原文を引用してその素晴らしさをご紹介することにしましょう。

 福沢先生は、数え年21歳(正味19歳3ヶ月)で長崎に遊学します。今風にいえば大学生になって下宿するようなものですね。そのときの事情が次のように語られています。

「それから長崎に出かけた。ころは安政元年二月、すなわちわたしの年二十一歳のときである。その時分には中津の藩地に横文字を読む者がいないのみならず、横文字を見たものもなかった。都会の地には洋学というものは百年も前からありながら、中津はいなかのことであるから、原書はさておき、横文字を見たことがなかった。
 ところがそのころはちょうどペルリの来たときで、アメリカの軍艦が江戸に来たということは、いなかでも皆知って、同時に砲術ということがたいへんやかましくなってきて、そこで砲術を学ぶものは皆オランダ流について学ぶので、そのときわたしの兄が申すに「オランダの砲術を取り調べるにはどうしても原書を読まねばならぬ」と言うから、わたしにはわからぬ。「原書とはなんのことです」と兄に質問すると、兄の答に「原書というはオランダ出版の横文字の書だ。いま日本に翻訳書というものがあって、西洋のことを書いてあるけれども、真実にことを調べるにはその大本の蘭文の書を読まなければならぬ。それについては、きさまはその原書を読む気はないか」という。
 ところがわたしはもと漢書を学んでいるとき、同年配の朋友の中ではいつもできがよくて読書講義に苦労がなかったから、自分にも自然頼みにする気があったと思われる。「人の読むものなら横文字でもなんでも読みましょう」と、そこで兄弟の相談はできて、そのとき、ちょうど兄が長崎にいくついでに任せ、兄の供をして参りました。」(長崎遊学)

 いかがですか。普通に読めるでしょ?全く普通の日本語でしょ?全く普通の日本語なのに、「そのころはちょうどペルリの来たときで」などという驚くようなことが書かれている。また福沢先生は、勉強はよくできたようですが20歳になるまで横文字を見たこともなかった。それなのにそのわずか十年後に「西洋事情」という高名な著書を執筆している。驚くべき学習能力であったことが分かります。また蘭学の勉強は、兄から言われて砲術を学ぶのが動機だった、などというのも意外ですよね。

 よーし、皆さんがついてきてくれそうなので、それでは続いて福沢先生が嘘をついた話。福沢先生は、ある不愉快な出来事のため、遊学先の長崎から中津(大分県)に帰らなければならなくなりました。しかしそれが非常に腹立たしい出来事であったため目的地を変更して、下関から船に乗って江戸に行く計画を立ててしまいます。知り合いもなく、資金もなく、相当心細い旅であったことと思いますが、そこで一計を案じニセ手紙を書くこととしました。その辺りの事情について、次のように語っておられます。

「その間の道中というものは、ずいぶん困りました。ひとり旅、ことにどこの者ともしれぬ貧乏そうな若侍、もし行き倒れになるか暴れでもすれば、宿屋が迷惑するから容易に泊めない。もう宿のよしあしは選ぶにいとまなく、ただ泊めてくれさえすればよろしいというので、むやみに歩いて、どうかこうか二晩泊まって三日目に小倉に着きました。
 その道中で私は手紙を書いた。すなわち鉄屋惣兵衛(くろがねやそうべえ)のにせ手紙をこしらえて、「この御方は中津の御家中(ごかちゅう)中村何様の若旦那で、自分は始終そのお屋敷に出入りして決して間違いなきおんかただから厚く頼む」としかつめらしき手紙の文句で、下ノ関船場屋寿久右衛門(せんばやすぐえもん)へあて、鉄屋惣兵衛の名前を書いて、ちゃんと封をして、明日下ノ関に渡ってこの手紙を用に立てんと思い、小倉までたどり着いて泊まったときはおかしかった。
 あっちこっちマゴマゴして、小倉中、宿を探したが、どこも泊めない。やっと一軒泊めてくれたところが、薄汚い宿屋で、相宿での同間に人が寝ている。すると夜中に枕元で小便する音がする。なんだと思うと中風病の老爺がしびんにやってる。実は客ではない、その家の病人でしょう。その病人と並べて寝かされたので、汚くて汚くてたまらなかったのはよく覚えています。
 それから下ノ関の渡し場を渡って、船場屋を捜し出して、かねて用意のにせ手紙を持って行ったところが、なるほど鉄屋とは懇意な家と見える。手紙を一見してさっそく泊めてくれて、万事よく世話をしてくれて、大阪まで船賃が一分二朱、賄いの代は一日いくら、そこで船賃を払うたほかに二百文か三百文しか残らぬ。しかし大阪に行けば中津の蔵屋敷で賄いの代を払うことにして、これも船宿で心よく承知してくれる。悪いことだが全くニセ手紙の功徳でしょう。」(にせ手紙を作る)

 いや、実に痛快ですね。お金のないひとり旅の若者が苦心して一計を案じ、ニセ手紙の効用で好待遇を得ることができたのも、頭のよさがなせる技でしょう。嘘をつくこと自体確かにいいことではありませんが、誰かに大きな迷惑をかけたわけじゃなし、微笑ましい話といえるのではないでしょうか。もしも船場屋さんが後からニセ手紙に気づいたとしても、宿代はちゃんと払ったわけだし「あの若者、なかなかやるな」と笑って許してくれたと思いませんか?
 それに引き換え、最近の某国の芸能界は異常事態をきたしていますよ。ついうっかりテレビをつけたら、夜中に裸になっただけの若者を何十人もの大人が寄ってたかって吊し上げて、実に下らない詰問をしている場面に遭遇してしまいました。
 「今のお気持ちは?」
 「またお酒飲むんですか?」
 「あなたにとってSMAPとは何ですか?」
 とがった声のおねーちゃんが耳障りないたぶり発言してましたが、実に聞くに堪えません。あんた、「知る権利」を振りかざして何でそんな下らない質問するの?お酒はまた飲むに決まってるでしょーが。あんたが同じ立場に立たされたら、どういう答え方するわけ?ほんとに質問者の知性と人格を疑ってしまいます。涙目で答えている「容疑者」よりも、アホな質問してるレポーターの顔が見たいと思ったのは私だけではないと思うんですけどね。
 しかしそれにしても悔やまれますよねえ。何がって、シャツやズボンは脱いでもパンツさえ脱がなかったらよかったんですから。後悔先に立たず、といいますが、私もギリギリのところで踏みとどまれる力を養いたいと思います。

 話が脱線してしまいました。お酒といえば、福沢先生のお酒好きはご本人も認めるところで、お札に印刷されるまでになった「偉人」のお話としてはちょっと気まずい感じがしないでもありませんが、次のような「自首」をされています。
 
 「まず第一にわたしの悪いことを申せば、生来酒をたしなむというのが一大欠点。成長した後には、みずからその悪いことを知っても、悪習すでに性を成してみずから禁ずることのできなかったということも、あえて包み隠さずに明白に自首します。自分の悪いことを公にするはあまりおもしろくもないが、正味をいわねば事実談にならぬから、まず一通り幼少以来の飲酒の歴史を語りましょう。
 そもそもわたしの酒癖は、年齢の次第に成長するにしたがって飲み覚え慣れたというでなくして、生まれたまま物心のできたときから自然に好きでした。いまに記憶していることを申せば、幼少のころ月代(さかやき。額際の髪を剃ること)をそるとき、頭のぼんのくぼをそると痛いからいやがる。するとそってくれる母が「酒を給(た)べさせるからここをそらせろ」というその酒が飲みたさばかりに、痛いのを我慢して泣かずにそらしていたことは、かすかに覚えています。天性の悪癖、誠に恥ずべきことです。その後、次第に年を重ねて弱冠(20歳のこと)に至るまで、ほかになにも法外なことは働かず行状はまず正しいつもりでしたが、俗にいう酒に目のない少年で、酒を見てはほとんど廉恥を忘れるほどのいくじなしと申してよろしい。」(酒の悪癖)

 いかがですか、面白いでしょう?黙っていれば分からないこんな話まで語ってしまうところに、福沢先生の気さくなお人柄が出ているような気がします。面白ついでに、日本の使節団がヨーロッパに派遣されたときのお話をご紹介しましょう。福沢先生は1860年に咸臨丸という船でアメリカに行きましたが、続いてその翌年に、今度はヨーロッパ使節団の一員として1年間かけてフランス、イギリス、オランダ、ドイツ、ポルトガルなどを歴訪しています。
 ほとんど全員が海外旅行初体験のお殿様たち、白米を何百箱も用意したり、あんどんを何十台も船に積んだりと、それは大変な装備でまさしく「大名旅行」だったようです。そんな中、失敗談も数多くあったようで、実に面白い話が紹介されています。

「まずこんな塩梅式(あんばいしき。「調子」とか「具合」の意味)だから、われわれ一行の失策物笑いは数限りもない。シガーとシュガーをまちがえて、たばこを買いにやって砂糖を持ってくるもあり、医者は人参と思って買ってきてしょうがの粉であったこともある。またあるときに三使節中のひとりが便所に行く、家来がボンボリを持ってお供をして、便所の二重の戸を開け放しにして、殿様が奥の方で日本流に用を足すその間、家来ははかま着用、殿様のお腰の物を持って、便所の外の廊下にひらきなおってチャント番をしているその廊下は旅館中の公道で、男女往来織るがごとくにして、便所の内外ガスの光明昼よりも明らかなりというからたまらない。わたしはちょうどそこを通りかかって、驚いたとも驚くまいとも、まず表に立ちふさがって物も言わずに戸を打ち締めて、それからそろそろその家来殿に話したことがある。」

 まるでミスター・ビーンのコメディ映画を見ているように、その場の光景が鮮やかに目の前に浮かんできますよね。しかもそれが実話というのですから、そのインパクトは半端じゃありません。
 この他にも興味深い話は多々あり、話題は尽きないのですが、ここから先は実際に読んでいただいてその素晴らしさを実感していただきたいと思います。ちなみに本書の解説を書かれた富田正文氏は「この書は読んでおもしろい自伝である。そのおもしろさは人によりさまざまに異なるであろうが、日本人であると否とを問わず、わたしはこの書をすすめて、おもしろくなかったといった者を、いまだかつて知らない」とまで言われています。文庫版も出ていることですから、是非一度手にとってご覧になることをお勧めします。というわけで今月の一押しは、「またかよ」と言われそうですが福沢諭吉先生の「福翁自伝」でした。

 私、最近はすっかりテレビを見なくなりましたが、子供の頃にはドリフターズの「8時だヨ!全員集合」というお笑い番組を楽しみにしていました。今にして思えば、実に他愛ないコントのオンパレードでしたが、福翁自伝を読んでいると、なぜかドリフターズのコントが頭に浮かんできてしまいます。
 サンフランシスコのレストランでアメリカ人に歓待された諭吉先生が、吸ったたばこの吸い殻を紙に包んで着物の中にしまったら、しばらくしてたもとから煙が出てきたとか、ロシアを訪問したときに外科の手術を見せてくれるというので立ち会ったところ、ちょんまげを結って刀を腰に差したまま貧血を起こして倒れた、なんていう話はドリフターズのコントそのままです。
 いや〜実に懐かしい。ところで土曜日の夜8時、風呂上がりの一時を楽しんでいたのは果たして私自身だったのか、それとも私の子供たちのことだったのか…。最近はそんなこともよく分からないようになってきてしまいました。人間、年は取りたくないねえ…

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