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今回の一押しは「浜離宮恩賜庭園」だあ!

2009年5月31日
 

 ある日突然、想像もしなかった災害が降りかかってきて人々が悲鳴を上げて逃げ回る。文明が進歩しても人類にとってのこういう不幸な出来事は一向になくならないようで、イタリアのベスビオ火山の爆発でポンペイの街がまるごと壊滅したなんて映画の世界の話のように思っていましたが、昨年のリーマンショック、今年の新型インフルエンザなどのニュースを見ていると、私などは人類の歴史は少しも進歩していないんじゃないか、なーんて思ってしまうのですが…(フルダチ口調)。

 ここのところのインフルエンザ騒ぎは国中を揺るがす大きな社会問題になっていますね。我がまち吉祥寺でも、数あるドラッグストアの店頭にはすべて「マスク完売」「入荷未定」などの紙が大きく張り出されていますし、私の事務所のスタッフは「今夜夫が関西出張から帰ってくるので、子供と一緒に実家に避難します」なんて笑うに笑えないようなことを口走っていました。
 群馬に住んでいる我が娘でさえ、地元のスーパーマーケットでメキシコ産のアボガドを買おうと思って手にとったら、隣にいた見ず知らずのおばちゃんに「インフルエンザがうつるよ!」と真顔で言われたそうです。田舎の人は気さくで親切と言えば言えないこともありませんが、アボガド持ったくらいでそんなことにはならんっちゅうのに。インフルエンザよりもおばちゃんの思い込みの方が恐いです。

 若い人には何のことかわからないでしょうが、1970年代のオイルショックのときにはどういうわけかトイレットペーパーがなくなるという噂が広まり、私の家でも押し入れの中にロール紙が山のようにストックされていた記憶がありますが、あれは一体何だったのでしょうか。
 今回のマスク騒動も、マスクを山のように買い込む人、何の手当もしない人、徹夜で製造に追われるメーカー、でももしかして最後はどこかで需給のバランスが崩れて返品対策に忙殺される問屋さん、などというように日本中がものすごく得をする人とものすごく損をする人に二分されるのかもしれません。これも一種の「災害」ですよね。情報過多の今日、そんな人災に翻弄される人々のことを思うと何だか少し悲しい気持ちになってしまいます。

 最近のこれら事件に関連して、「またかよ」と言われそうですが福沢諭吉先生の「文明論之概略」という本の中に「智徳」に関する議論があったのを思い出し、私は一種の感慨に耽っています。なかなか高尚な議論であり非常に難しいので正しくお伝えできるかどうか分かりませんが、福沢先生の主張はおおよそ次のようなものです。
 すなわち総論的に言えば、文明の進歩というのは一般大衆の「智徳」の進歩のプロセスである。しかしよく分析してみると「智 ( intellect。現代の言葉で言えば「知性」)」と「徳 ( moral。現代の言葉では「道徳」)」は別々の働きをするものだ、というのです。

 突然言われても何のことだかわからないと思いますのでもう少し具体的にご説明しますと、「智」はさまざまな工夫や実験の積み重ねで増えていくもので、たとえば水が凍ると体積が増えるということは今の日本では小学生でも知っている。もしそのことを知らなければ、寒冷地で水道管が破裂するのは神の仕業だということになるでしょう。ところが「智」の積み重ねで人々の暮らしは便利になり、水道管にヒーターをつける技術が発明されて快適な生活ができるようになる。だから時代が下れば下るほど「智」の総量は大きくなって文明は進んでいく、というわけです。
 今回のインフルエンザが若者を中心に流行している、詳しいことはわからないが50代以上の人には免疫があるのかもしれない、というニュースを聞いたとき、私は真っ先に福沢先生のこの話を思い出し、きっとその原因もいつか突き止められて人類の「智」がまた一つ蓄積され、次の世代に引き継がれていくんだろうな、と思ってしまったのでした。

 これに対して「徳」というのはモラルです。すなわち欲をかいてはいけないとか、人を殺すなとか、親を大切にしろというようなことで、これがなければ弱肉強食の世界、人間もけだものと同様の状況になってしまい、やはり快適な生活は送れません。しかしこの「徳」というのは「智」のように時代の経過とともに増えていくということがない。江戸時代が平成の世になってもキリスト教の「十戒」が一つ増えて「十一戒」には絶対にならない、と福沢先生は仰います。キリスト教にしても仏教にしても、開祖のイエスやブッダが専売特許を持っていて、その後何千年にも渡ってこれを広めてきた弟子たちは全てその仲買人のようなものである、というわけです。
 なるほど、まったくそのとおりですね。即ち私たち人間は、文明の進歩とともに豊かな生活が送れるようになりましたが、それは徐々に増えていく「智」と永遠に変わることのない「徳」という二つの車輪がセットになって支えてくれているということです。

 福沢諭吉という人は、こんな壮大なアイデアをどうして思いついたのでしょう。「「文明論之概略」を読む」という丸山眞男氏の書かれた解説書があり、これが大変素晴らしい本で現在読み進めているところなのですが、その本によれば、福沢氏の主張の元となる思想が当時のイギリス等の書物にあるらしく、同氏が原書を丹念に勉強してヒントを得たことは間違いないようです。それにしても、いくらヒントがあったとはいえ、ちょんまげを取ったばかりの人が短期間でこんなスケールの大きい考え方ができるようになるなんて、福沢諭吉はやはり天才としか言いようがないのかもしれません。

 今の日本も、明治時代から比べれば科学知識は随分進歩したのでしょうが、それでも「智」が十分に行き渡り、国民がみな「徳」を心得ているとはとても思えません。
 たとえばこのゴールデンウィーク、皆さんはどのような時間を過ごされましたか?景気振興のための政策の一つとしてETCを装着した車の高速道路料金が大幅に引き下げられ、千円でどこまででも行けると随分宣伝されましたが、そんなことをしたら高速道路が渋滞するのは目に見えていますよね。実際に各地の高速道路は大渋滞だったようですが、ついこの間までガソリン価格が暴騰し、地球温暖化防止のため車の利用は控えましょうなどと言っていたのは一体どうなっちゃったのでしょう。どうも政策が場当たり的に見えて仕方ありません。

 先日のニュースで、この点を踏まえて休日を分散取得するプランがまじめに検討されているという話を聞きました。そんなこと本当にできるのかなぁと思いましたが、なんとフランスでは既にこれが実施されていて、国内をA〜Cの3地区に分け、各2週間ある学校の春休みと冬休みをずらしているんですってね。子どもにあわせて親も休暇をとることが多く、道路や観光地の混雑防止策にもなっているとか。さすが先進国です。「智」の蓄積量が違うようです。

 私自身は、ゴールデンウィークはきっとどこに行っても混んでいるんだろうと思い、例年の如く事務所で溜まった書類など片付けておりましたが、それでも少しはうまい空気が吸ってみたくなってふと思い立ち、東京の公園を散策する計画を立ててみました。
 インターネットで検索してみると今まで行ったことのなかった施設が結構沢山あることが分かり、お金はかからないし、エコだし、健康にもいいしと三拍子揃ってしまいます。それじゃ目指すところも三カ所にしようと、特に深い意味はありませんが「六義園」、「後楽園」、「浜離宮」の3カ所を選定して、連休中に二日間に分けて探索して参りましたので少しご紹介させて頂きます。

 まずは「六義園」。所在地は文京区駒込で、三多摩地区からですとJR中央線で四谷に出て南北線に乗り換え、駒込駅で降りればそこから徒歩7分程度で到着します。
 以下、六義園のホームページから施設の概要について転載します。
「六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
 庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。
 庭園は中之島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州(現在の和歌山県)和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。
 明治時代に入り、岩崎弥太郎氏(三菱創設者)の所有となった当園は、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されることになりました。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。」

 というわけで、これが非常に静かで美しい庭園なのでありますよ。解説にもありますように、広大な池の周りに芝生の広場あり、松の林あり、ツツジの山ありと変化に富んでいて、これが首都東京のど真ん中にあるとはとても信じられません。入園料はわずか300円、多くの人が高速道路の渋滞にうんざりしている頃にカメの泳ぎをボーッと眺めてるなんて最高の贅沢です。まだ未経験の方は是非一度お出かけください。参考までに写真を何点かお目にかけましょう。



 と、このように素晴らしい六義園ですが、休日を一日ここで過ごすにはちと時間が余ります。そこで公園ついでに、今度は小石川の後楽園に足を運んでみました。
 後楽園は、皆さんよくご存じの東京ドームの裏手に位置しており、水道橋からでも飯田橋からでも地下鉄後楽園駅からでも少し歩けばすぐにたどり着きます。
 同じく施設の概要を公園のホームページから転載させて頂きます。
「江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。
 庭園は池を中心にした「回遊式泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。
 なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮とここの二つだけです。」

 それでは写真を少し。



 私は、今回訪問した公園の中ではこの「後楽園」が一番面白く感じました。近くの東京ドームでロックコンサートか何かがあったのか、ものすごい音が響いてきて非常に興ざめでしたが、耳をふさいで景色を眺めれば、それほど広くはない敷地の中にいろいろな仕掛けがぎっしりと詰め込まれています。
 川あり池あり山あり谷ありとその地形は変化に富んでいて、随所に橋や階段、藤棚に梅林などの人工物が配置され、本当に飽きることがありません。とりあえず一周するだけなら1時間もあれば間に合いますので、都心のお仕事のついでに是非一度お立ち寄りください。後楽園といえば野球、というイメージがすっかり変わりますよ。

 さて最後は浜離宮恩賜庭園です。まずは写真をお楽しみ下さい。



 浜離宮恩賜庭園は、汐留の開発エリアの近くにあります。アクセスも地下鉄の汐留駅または築地市場駅から徒歩数分で、一言で言えば「浜」というくらいですから海の近くの公園です。同じくホームページからその概要を転載させて頂きます。
「潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
 旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。」

 ここの面白さは、海水の池です。私が行ったときは満ち潮の時間帯で、海から池に向けて水がドボドボと押し寄せている光景がとても印象的でした。とにかくスケールが大きく、また公園の背後には巨大なビル群がそびえ立っていて、実に不思議な光景です。海風の潮の香りをかぎつつ、のんびりと池を一周するのも悪くありません。銀座にもほど近いので、ショッピングのついでに立ち寄ることも十分可能です。

 今回、都心の公園を訪れてみて、私は東京生まれの東京育ちのくせに東京のことをほとんど知らないんだということを実感してしまいました。東京は、意外に緑の多いところです。そして京都・奈良ほどではありませんが、それでも江戸時代あたりからの歴史の面影が随所に残されています。
 なお有り難いことに、どこも比較的空いていて手入れが行き届いており入場料はせいぜい300円程度、こんなに健康的で美しく、ぜいたくな場所を散策しない手はありません。私はこれからも引き続きまだ訪れたことのない緑の街東京を散歩して、東京マニアになりたいと思います。というわけで今月の一押しは、あれもこれも素晴らしかったけどカレイやハゼが泳いでいる海水庭園の雄大さに感激した「浜離宮恩賜庭園」でした。

 冒頭にお話しした娘が群馬で購入したメキシコ産のアボガドですが、先日久し振りに我が家にやってきてアボガドサラダにしてご馳走してくれました。これがなかなか秀逸で、アボガド、トマト、モッツァレラチーズなどを特製ドレッシングであえたフレッシュ・アンド・ヘルシーメニューです。白ワインにピッタリで実にいけてます。
 それ以外にも炊き込みご飯や漬けマグロなど和食メニューも手際よく作れるんですけど、こんな料理のうまいウチの娘、だれかもらってくれませんかね。もらっていただくと、もれなく私がついてくるんですけど。
 え?だからダメなの?そんなこと言わないで、安くしとくからさぁ…

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