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今回の一押しは「日光東照宮」だあ!

2009年6月30日
 

 時の経つのは早いもので、今年もそろそろ半分終わってしまいますね。梅雨空の鬱陶しい日が続きますが、皆様お変わりありませんでしょうか。
 それにしても光陰矢の如しとはよく言ったもんだなあ、こんなに時間の経つのが早いとあっという間に死んじゃうぞ、いったい去年の今頃は何をしてたんだろう?と一年前の「一押し」を見てみたら、なんと昨年の6月には娘と一緒に新潟旅行に出かけたのでありました。ほんじゃ今年も行ってみますか、ということでこういう相談はあっという間にまとまり、今回は娘の勤務地の群馬からそれほど遠くない、栃木県の日光・鬼怒川温泉一泊二日の旅が企画されたのであります。

 日光といえば東照宮。恐らく修学旅行の訪問先などに指定されているはずですから、関東近県の方は日光を訪れた経験をお持ちの方が少なくないと思います。
 私自身はいつ行ったんだっけ…。金ピカの建物に霧深い杉林、左甚五郎の「眠り猫」に見ざる言わざる聞かざるの「三猿」、ものすごい急カーブが続く「いろは坂」など、思い出される場面はいろいろあるのですが、いまいち記憶がはっきりしません。
 しかし今回いろは坂を何十年ぶりかで通ってみて、改めてそのすごさに驚きました。山深く断崖絶壁のような自然環境の厳しいところに、よくぞこれだけの設備を造ったものです。いろは坂のグニャグニャ具合は相当なもので、カーブの一つ一つに「い」「ろ」「は」の順でひらがなの看板が出ているんですね。
 車中、娘は学校の修学旅行でいろは坂を通ったときに「きたろう袋」を持って行ったとか何とか思い出話を語っていましたが、ちょっと待て、聞き捨てならぬ、きたろう袋ってなんだ?お父さんはそんなもん知らんぞ…またおかしな日本語を使って(怒)と思ったら、きたろう袋というのは我々の世代で言うエチケット袋のことで、「ゲゲゲ」の鬼太郎だからきたろう袋というらしいです。20代の若者はふつうの日本語として認識しているらしいですが、みなさん知ってました?

 
 言わずとしれた華厳の滝

 それにしても江戸時代の人はここをどうやって通行していたのでしょう。全く想像がつきませんが、静岡で亡くなった家康を当地に移した三男の二代将軍徳川秀忠や、東照宮の立派な社殿を造営した孫の三代将軍徳川家光はきっとものすごい坂道を馬や駕籠に揺られて何度も往復したのでしょうね。
 今回の旅行で認識を新たにしましたが、日光東照宮というのは徳川家康が「死後の自分を神様として祀りなさい」という遺言を残し、その命令に沿って遺族が朝廷から「東照大権現」という神様の名前をもらって造営されたものだそうです。江戸の真北、関東一円を見守る日光の地が選ばれ、家康の孫の三代将軍家光が中心となり莫大な費用を投じて建立したわけですが、それにしても自分を神として祀れ、とは大した遺言ですよね。私も税理士という仕事柄、多くの方の遺言書を目にしますが、さすがに「死んだら神にしろ」という文言にはお目にかかったことがありません。
 世界遺産にまでなった東照宮にケチをつける気はさらさらありませんけれども、東照宮に向かってお賽銭を上げて手を合わせるのは、ほかの神社でお宮参りや家内安全のお祈りをするのとはちょっと意味が違うようですぞ。


 東照宮の陽明門と     三猿

 この半年、福沢諭吉先生に感化され続けている私は、その著書からヒントを得て「神」についてもいろいろ研究(?)を重ねていますので、この点についてはちょっとうるさいです。なかなか面白い話がありますので、神様についての議論に少しお付き合い下さい。

 我が国の宗教信仰には、「八百万の神(やおよろずのかみ)」という特徴があります。すなわちキリスト教やイスラム教のような一神教と異なり、日本では山にも海にも森にも土地にもそれぞれ異なる神がいると信じられ、その一つ一つが信仰の対象になっているというわけです。
 これに関して福沢先生は、「文明論之概略」という本の中で次のような議論を展開されています(同書第7章)。ちょっと難しいですが引用してみますと、

「野蛮を去ること遠からざる時代には、人民の智力いまだ発生せずして、その趣あたかも小児に異ならず、内に存するものは、ただ恐怖と喜悦との心のみ。地震、雷、風雨、水火、みな恐れざるものなし。山を恐れ、海を恐れ、干ばつを恐れ、飢饉を恐れ、すべてその時代の人智を以て制御すること能わざるものは、これを天災と称してただ恐怖するのみ。あるいはこの天災なるものを待ちて来らざるか、または来て速やかに去ることあれば、すなわちこれを天幸と称してただ喜悦するのみ。たとえば日照りの後に雨降り、飢饉の後に豊年あるが如し。
 しこうしてこの天災天幸の来去するや、人民においてはすべてその然るを図らずして然るものなれば、一にこれを偶然に帰して、かつて人為の工夫をめぐらさんとする者なし。工夫を用いずして禍福にあうことあれば、人情としてその原因を人類以上のものに帰せざるを得ず。すなわち鬼神の感を生ずる由縁にて、その禍の原因を名づけて悪の神といい、幸いの原因を名づけて善の神という。およそ天地間にある一事一物、皆これを司るところの鬼神あらざるはなし。日本にていえば八百万の神の如き、これなり。その善の神に向かっては幸福を降さんことを願い、その願いの叶うと否とは我が工夫にあらずして鬼神の力にあり。その力を名づけて神力といい、神力の扶助を願うことを名づけて祈りという。」

 現代人には読みづらい文章ですが、その大意は、文明が未発達の時代においては世の中に起きるさまざまな出来事の原因が分からないため、人々は恐ろしい出来事は悪の神の仕業、うれしい出来事は善の神の仕業と考えるしかなかった。したがってありとあらゆるものに神の存在をイメージし、悪いことが起きませんように、いいことがありますように、と自らに不幸が降りかからないように祈った、ということです。
 科学が進歩した現代においてさえ、私たちは「原因が分からないこと=神の仕業」と恐れる傾向があります。ある出来事がきっかけで不幸な事件が連発すると「ファラオの呪い」だとか「○○のたたり」などといって恐怖するのは、科学で説明できない神的なものの存在を心のどこかで信じているからなのかもしれません。
 そう言えば私が学生の頃、「亀ののろい」という小話(?)が流行したんですが、今の若い人は知らないかな。この話は、小さく低い声で、ボソボソと、次のようにささやくんです。「昔からね…」、「亀はね…」、「のろい………」。


 仁王像が      匂うぞう…

 話題を先に進めます。
 福沢先生の議論は、庶民がちゃんと学問をしないと一部の権力者が暴力を用いて庶民に恐怖心を植え付け、神になりすまして権力を濫用するから気をつけなさい、というストーリーにつながっていくわけですが、そういう点では自ら神になった徳川家康という人は、幕末動乱の時代からは200年以上も昔の人であったとはいえ、やはり福沢諭吉にとっては憎むべき権力者であったと言わざるを得ないのでしょう。

 歴史を振り返ってみると、実際に存在した人を神として祀った例はいくつかあるようですが、恐らく徳川家康のように自らの意思で神になった人はそれほど多くないのではないでしょうか。
 たとえば有名な菅原道真も実在の人物が神様になった例ですが、こちらは政争に敗れ九州に左遷させられて失意の内にこの世を去った道真のたたりを恐れた後世の人が、その怒りを鎮めるために道真を「天満自在天神」という神様に仕立て上げたものです。菅原道真の死後、京都では飢饉や疫病が流行し、挙げ句の果てには御所に雷が落ちて何人もの人が死ぬという事件まで起きました。原因が分からない凶事が続き、道真を失脚させた人々の心の中に大きな恐怖心が生まれ、それが実在の人を神として祭り上げるという行動を生んだということです。
 天満宮の本拠地は京都の北野天満宮と九州の太宰府天満宮で、日本全国にある「天神様」の多くがこの天満宮の末社です。全国に神社の一大派閥をなす天神様も、元を正せば「原因が分からないこと=神の仕業」という恐怖心が生んだものだったのですね。

 ところで神社には、天神様のほかにも鶴岡八幡宮や明治神宮など、さまざまな名前のものがあります。私たちは日頃そんなことをあまり意識することもなく、ひどい人になると神社とお寺の区別もつかずに初詣のときだけめかし込んでお参りをするケースもあるようですが、調べてみたら神社にはいくつもの「グループ」があることが分かりました(以下「神社の由来がわかる小事典」三橋健著、PHP新書を参考にしました)。
 まず最大派閥は「稲荷神社」です。全国には約11万の神社がありますが、その中で稲荷神社は3万以上あるとのことですから、稲荷神社は全体の約3割を占める一大グループということになります。政治で言えば自民党のようなものですね。「いなり」というのは「稲がなる」が転じた名前だそうで、すなわち農業の神様です。それが後世になると事業の神様としても信仰されるようになり、総本山である京都の伏見稲荷大社には、全国の企業が奉納した赤い鳥居がびっしりと並び、私も訪れたことがありますが「千本鳥居」というみごとな鳥居のトンネルになっています。

 次に大きいのは八幡神社グループです。政治なら民主党ですね。その数約2万5千社、本部は大分県にある宇佐神宮とのことで、関東の私にはあまりなじみがありません。やはり東京の人には、初詣で有名な鶴岡八幡宮がすぐに頭に浮かびますが、これは八幡神社が源氏の氏神になったことにより創建されたものだそうです。したがって八幡宮は武士からの信仰が厚く、武家の守護神として全国に広まりました。

 稲荷神社、八幡神社に続くのが先ほどお話しした天神様で、その数は1万社前後。これに続くのが諏訪神社、住吉神社辺りだそうです。ちなみに明治神宮は明治天皇を、伊勢神宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っており、すなわち「神宮」という名前は天皇や皇室祖先神を祀った別格の神社に与えられる名称のようです。

 このように見てくると、日本の宗教信仰は実にバリエーションに富んでおり、不謹慎な言い方ですがとても面白い。キリスト教の世界では、教会の作りというのは世界中どこでも似たような感じですが、日本では神社に加えて仏教のお寺も数多くあり、柏手を打ったり鈴を鳴らしたり手を合わせたり礼をしたりと、参拝の仕方もさまざまです。お寺の境内でパンパンと柏手を打ったら笑いものですから、気をつけてくださいね。
 学校で習った記憶をお持ちの方も多いと思いますが、「神仏習合」といって神教と仏教をうまい具合に合体させたり、逆に「廃仏毀釈」という両者を分離させる運動が起きたりと、私たち日本人はなかなか器用というか浮気性というか、「神」と「仏」を上手にミックスさせて信仰してきたわけですね。日光東照宮のご本尊は東照大権現といいますが、「権現」というのは仏様が神様に形を変えて姿を現したものなんだそうで、神様なのか仏様なのか、何だかよく分かりません。

 東照宮の参拝を終えた後、神社仏閣嫌いの我が娘は「お父さん、牧場に行こうよ」と言い出しました。は? あんた毎日牧場で働いているくせに、休みの日にも牧場に行きたいの?俺は休日によその会計事務所に行こうなんて全然思わないけど…と思いましたが、仕方ありません。引きづられるようにして東照宮からしばらく山に入ったところにある「大笹牧場」というところに行きましたが、これがまた立派なところで、広大な山に牛が放牧され実にのどかなスイスのような風景が広がっています。
 梅雨の合間でしたが雨も上がり、すがすがしくて気持ちがいいです。私は牧場で取れたての牛乳を飲み、それから放し飼いになっているヤギさんとヒツジさんとウマさんにえさをあげたりして時を忘れて遊びました。栃木って、東京から近いし意外にいいところですね。いうわけで今月の一押しは、何十年ぶりかで訪れた「日光東照宮」でした。



 それにしても東照宮というのは何だか商売っ気の激しいところでした。行く先々に色とりどりのおみくじ売場があったり、「ここにしかない」というお線香を売っていたりと、気がつくと結構な出費をしてしまいます。
 杉林も建築物も素晴らしいのですが、京都、奈良、鎌倉などと比べるとどことなく空気が異なるのはやはり歴史の違いなのでしょうか。ちゃんと拝観料を払って入ったのに、眠り猫のあるところは別料金なんだって。何だかエッチなビデオを途中で止められたような変な感じ。そんなに稼がなくてもいいと思うけど、これってまさか「苦しいときの猫頼み」じゃないよね…

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