須田邦裕の「今月の一押し!!」
2004.11.11  今回の一押しは「暁(あかつき)の寺」だあ!

 昨年12月のこのコーナーで、私は三島由紀夫氏の「豊饒(ほうじょう)の海」という文学作品をご紹介しました。これは、肉体は死んでもその魂は滅びず、再び別の肉体に宿るという「輪廻転生(りんねてんしょう)」の思想を具現化した三島氏の遺作で、四部構成からなる大作です。その第三巻に「暁(あかつき)の寺」という作品がありますが、これは第一巻の主人公「松枝清顕」が、タイ国の王族の一人「月光姫」という少女に生まれ変わるという物語です。

 この作品のタイトルとなった「暁の寺」は、正しくは「ワット・アルン(Wat Arun)」といい、タイ国の首都バンコクに実在する寺で80m近い大仏塔を擁するそれはそれは美しい寺院だそうです。
 この作品をご紹介した一年前には思いも寄らなかったことなのですが、実は私、先日ここを訪れるチャンスに恵まれてしまいました。自分でもほんとにびっくりです。「だそうです」なんて白々しく言いましたが、「です!」になってしまったのです。そこで今回はそのお話を少し。

 バンコクは、正しくは「クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッターナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシット」というんだそうで、何だか落語の「じゅげむじゅげむ」みたいな強烈に長い名前です。
 今回お世話になった現地ガイドのティパワンさんによれば、タイの子供たちは学校教育で強制的に覚えさせられるのでこれをほぼ全員が暗誦できるそうですが、大人たちの中にはちゃんと言えない人も結構多いとか。略して「クルンテープ」が通称で、直訳すると「天使の都」という意味だそうです。ロサンジェルス(Los Angels)みたいな感じですかね。

 そのバンコクには、北から南に向かってチャオプラヤー川という大きな川が流れており、その西岸に「暁の寺」はそびえています。現在の首都は川の東側にありますので、観光客は東の川岸から観光船に乗ってワット・アルンを訪れることになります。写真でお見せするとこんな感じです。
 11月といえどもタイの気温は30度を軽く超え、吹く風は生暖かく、日射しは熱帯地方そのものの強烈なパワーです。その日差しの下、ボートに乗って涼しい川風に吹かれて近づいていくと、向こう岸にそのお寺は徐々に美しい姿を現します。大仏塔は周囲に小仏塔を従え、インドのタージ・マハールを思わせる実にバランスの取れた美しい建築群です。

     
  船に乗り込み…           川を遡ると…           いよいよ見えてきました

 ワット・アルンは、近づくに連れて、その形の美しさとともに色彩の美しさも表します。それもそのはず、仏塔の表面には陶磁器の破片が無数に貼りつけられているからです。周囲の雑踏でティパワンさんの説明が十分に聞き取れなかったのですが、なんでも中国から取り寄せた陶磁器が割れてしまい、それが勿体ないので貼りつけたのだとか。ということは相当高価なものまで貼られているのかもしれません。
 近くで見たら、醤油の小皿そのままのきれいなお皿が、割れもせずにたくさんくっついて美しい花の形を作っています。写真ではこんな感じ。この無数のチャイナたちが日の光を受けて輝くのですから、それはきれいなわけですね。

     
  美しい大仏塔           正面からの威容         よく見ると醤油の小皿が…

 私の駄文では気分が出ませんから、少し長いですがここでは三島先生の格調高い文章をご紹介しましょう。

「近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿を隈なく鏤めているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ、一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。嵌め込まれた数知れぬ皿は花を象り、あるいは黄の小皿を花心として、そのまわりに皿の花弁がひらいていた。あるいは薄紫の杯を伏せた花心に、錦手の皿の花弁を配したのが、空高くつづいていた。葉は悉く瓦であった。そして頂きからは白象たちの鼻が四方へ垂れていた。
 塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に充ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向かって細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである。すこぶる急な階段の蹴込も隙間なく花紋で埋められ、それぞれの層を浮彫の人面鳥が支えている。一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押し潰されながら、なお累積し累積して、空へ向かって躙り寄って成した極彩色の塔。
 メナムの対岸から射し初めた暁の光りを、その百千の皿は百千の小さな鏡面となってすばやくとらえ、巨大な螺鈿細工はかしましく輝きだした。
 この塔は永きに亘って、色彩を以てする暁鐘の役割を果たして来たのだった。鳴りひびく暁に応える色彩。それは、暁と同等の力、同等の重み、同等の破裂感を持つように造られたのだった。」 (豊饒の海 第三巻 「暁の寺」より抜粋)

 いかがですか、この絢爛たる文章表現。もしかするとデジカメの写真よりも表現力に富んでいるかもしれません。同じフレーズを少しずつ変えて繰り返すやり方はとても印象的ですね。これは、唐突ですが、ジャズの名手のアドリブ技法にも通じるものがあると思います。

 私は、かつて単行本で買った「豊饒の海」を今回の旅行に備えて文庫版で買い直し、ホテルの部屋で、自分が訪れた街が描写されている箇所を繰り返し読みました。そして文豪三島由紀夫氏が訪れたと同じ地を歩き、氏が見たであろうものと同じものを目の当たりにできる感激に浸りました。
 上等な芸術作品と同化できる悦び。これは何ものにも換えることができません。そしてバンコクは本当に素晴らしいところです。自分が輪廻転生してしまう前に、是非もう一度訪れたいと思いました。というわけで今月の一押しは、バンコクを代表する寺院建築「暁の寺」でした。
 
 そういえば、バンコクが美しいのは寺院建築だけではありません。「女性」も「現女性・元男性」も半端じゃなく美しい人が多くて驚きます。特に「元男性」の美しさは、筆舌に尽くしがたい。細い肩、くびれたウェスト、しなやかで豊かな髪、つぶらな瞳。どこから見ても正しくオンナです。
 えーい、仕方がない。暴走しますが、私が愛してしまった人の写真をお見せしてしまいましょう。え?何これ?ニューハーフショー?そうかぁ、せっかく今月は格調高く終われると思ったのになぁ。やっぱりそっち方面へ行ってしまうのね、私って(泣)。これじゃ、あかつきの寺じゃなくて病みつきの寺だぁ…。

   
  彼女1        彼女2

 


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