須田邦裕の「今月の一押し!!」
2004.01.25  今回の一押しは「板橋廣美」だあ!

 また新しい一年が始まりました。私の「今月の一押しコーナー」も足かけ4年目に突入することになり、過ぎゆく時の早さを実感せずにはいられません。この間、多くの方からご感想やご意見を賜り、またネットを通じて見ず知らずの方とも交流することができ、大変ありがたく思っております。今しばらく継続してみる所存ですので、変わらぬご支援をお願いします。
 
 さて新年第一回目の今回は、ふと思いついた「形あるもの」というテーマについてお話ししてみましょうか。

 私は、職業柄か、何でも数字に換算して判断する悪癖がついており、たとえば素敵なレストランなどに入っても、雰囲気を楽しむより先に「何人くらいの客が何回転して客単価がいくら位だからまあまあ大丈夫か」なんて人様の財布を心配してしまいます。いくら儲かろうが損しようが大きなお世話ですよねぇ。これは自分のプライベートな生活でも同様で、無意識のうちに駅の階段の数を数えていたり、車が欲しいと思っても「耐用年数が何年で1ヶ月当たりの償却コストがいくら」などと、およそ意味のない計算をしてしまうのです。だから従業員の○君みたいに無謀な買い物をする人がときどきうらやましくなったりして。

 その延長からか、ちょっと分かりづらいかもしれませんが、どちらかというと形のない、あるいはコンパクトなものが好きになってしまいました。たとえば建物。「一生懸命働いて自社ビルを建てる」なんて男の夢なんでしょうが、本音を言うと私はこの「自社ビル」というのがどうも好きになれません。もちろんそれなりの事業規模と歴史があるならば、しっかりとした本拠地を構えるのはとても大切なことですから是非実現していただきたいものですが、私のような一代限りの浮き草稼業にはそぐわない気がする。そのときそのときの状況に応じてやどかり暮らしをしたほうが拘束されなくていいですし。
 マイホームもいいけど、住宅ローンに何十年も追いかけられるのはちょっと考え物ですぞ。いやな職場でも簡単に転職なんてできないんだから。

 話が脱線しましたが芸術もしかりで、私は絵画が好きですが、それは小さな平面に深遠な空間が描かれているからであると同時に、たった一枚の紙切れですから飽きたときにはたんすの隙間にでも仕舞っておける、というコンパクトさが起因しているような気もします。したがって彫刻作品のように立体的なものはどうも苦手で、いまだによくわからないし、申し訳ないがあまり真面目に鑑賞したこともありません。究極は音楽で、それ自体にはそもそも形がないわけで、自由でいいですね。そして媒体といっても厚さ数ミリのCDなら何枚あっても苦にならない。要するに、なるべく空間を占領しない、世の中にご迷惑をお掛けしないものが気楽でいいという感じで、気が小さいというかせこいんですかねぇ。

 ところが最近、その性癖に少し変化が生じました。それは板橋廣美さんという陶芸家の作品に出会ってからのことです。
 板橋廣美さんは、斬新な作品を次々に発表する作家で、その作品は国内はもちろん海外でも高く評価されています。陶磁器というと、ど素人の私などは花瓶やお皿・茶碗などどちらかというと地味なものを頭に浮かべてしまいますが、板橋さんの作品は、宇宙の彼方からやってきたノアの箱船のようなオブジェや、砂漠の遺跡から発掘したかのような作品、また女性の裸体を連想させる美しい球体群など、今までに見たこともない実に新鮮なイメージに満ちあふれています。
 一体どうやって作るのかしらと素人ながらに不思議に思うのですが、作品の評価などを読むと、やはり秘密は技法と制作のプロセスにあるようで、その着想は他の追随を許さないもののようです。興味のある方は是非一度ご鑑賞下さい。

 さて、とはいうものの、美術館に納められるようなオブジェを一般家庭に置くわけにもいきませんし、きっと高価で手が出ないでしょう。ところが有り難いことに、板橋さんには生活道具としての磁器の作品も沢山あります。これがまた秀逸で、「くぼみがあればそれが器だ」というご本人のコメント通り、実にシンプルで美しい作品ばかりなのです。
 少しずつ買い求めた私の所蔵品を写真でご紹介しますが、豆腐のような真四角のお皿などは、どこから眺めても美しく見飽きることがありません。潔いすっきりとした曲線の徳利も私のお気に入りで、これに冷酒を入れて器を眺めながらちびちび飲めば、テレビなんてうるさくて見る気にもなりません。
 というわけで今月の一押しは「板橋廣美の陶磁器作品」でした。さて今年は何を手に入れようかなぁ…。
 
        
 ガラスの破片のような複雑な形をした皿  豆腐のようなとてもシンプルな皿

 
 たけのこみたいな徳利とセットの猪口

 


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