須田邦裕の「今月の一押し!!」
2004.10.12  今回の一押しは「ジョアン・ジルベルト東京公演」だあ!

 季節はゲージュツの秋となりました。朝晩のひんやりとした空気を胸一杯に吸い込むと、体中の細胞がみるみる元気になっていくような気がして、思わず「松茸食いてー」と叫んでしまいます。じゃなくて、思わず音楽や絵画などクリエイティブな世界に身を投じてみたくなります。そんなわけで今回は音楽に関するお話を少し。

 私、先日ジョアン・ジルベルトの日本公演を聞きに行って参りました。ご存じない方のために簡単にご紹介しますと、ジョアンさんはブラジル生まれの歌手・ギタリストで、1931年生まれといいますから、今年74歳になるおじーちゃんです。
 でもその辺に転がってる、不機嫌で役に立たないおじーちゃんとは訳が違います。なぜならジョアンさんは、「ボサノバ」という音楽を発明した、まさにその当事者だからです。熱狂的なファンからは、神様とあがめられている大変な方なのです。

 そのジョアンさんが昨年初めて日本を訪問され、その公演が大成功したので、今年再びの来日となったようです。私、昨年も行ってみようかなーと一度は思ったのですが、誠に申し訳ないことに「70歳を超えた人の演奏ってどうなのよ」みたいな気持ちが脳裏をかすめ、チケット代金の高さを乗り越えることができずに見過ごしてしまいました。
 そうしたらあなた、大変な評判で、まあマスコミの宣伝の上手さもあるのでしょうが、あれを観なかった人は一生の不覚!とでも言わんばかりの勢いでござりました。

 そして一年が経ち、不心得者に敗者復活戦のチャンスが巡ってきたわけであります。これを逃すわけには参りません。場所は東京国際フォーラムホールA。S席はなんと1万2千円です。
 音楽の価値を原価計算で比較してもどーにもなりません。なりませんけれども、なんとかフィルハーモニー管弦楽団だったら団員数うん十人、コントラバスやティンパニやハープなどの巨大な楽器を船や飛行機に乗せて地球の裏側から輸送し、大人数の団員の出演料、宿泊費、交通費などを割り算すれば、まぁ分からんでもありません。
 しかし、かたやジョアン様はたった一人で、しかもギター一本ですよ。ほんとに。カタチ的には流しのおにーさんと何ら変わるところはありません。5千人の聴衆を前に、ギターの弾き語りだけで2時間のステージをやるというのは、これはこれでそりゃ大変なものです。本当に大変なものだとは思いますが、でもなぁ…という気持ちはやはり今年も脳裏をかすめてしまいました。だって平均客単価1万円×5千人で、えーっ!?一晩でご、ご、ごせんまん?あ、なんでもないです。ごめんなさい。もう言いません。

 そしていよいよコンサート当日。開場6時、開演は午後7時の予定。もちろん几帳面な日本人である私は6時45分には会場に到着いたしました。しかしいつものコンサート会場とは何となく雰囲気が違う。開演5分前になっても、ロビーでワインを飲んでる人が大勢いたりして、客席は埋まっておりません。
 それもそのはず、ファンは先刻ご承知のとおり、ジョアンさんのステージは定刻に始まらないことで有名なのです。案の定7時ちょうどに女性の声でアナウンスが流れ「開演予定時刻になりましたが、出演者がまだ到着しておりません」とのこと。会場には「まじかよー」と「やっぱりねぇー」という感じの笑いとどよめきが起こりました。

 そして7時15分頃、再び女性の声で「只今入った情報によりますと、出演者は会場に向けて移動中とのこと」のメッセージ。お、なんか面白くなってきたぞー。既にここはブラジルだぁ。これも演出の一つかなぁと、いつもは何かあるとすぐにカリカリする我が日本のオーディエンスも余裕の表情です。
 そして定刻を遅れること40分ほどして、ようやく開演のブザーがなりました。三度目のアナウンスでは、出演者の要請によりエアコンを切るので気分が悪い人は申し出てください、同じく出演者の要請により非常口の電気も消します、とのこと。いいぞいいぞー。一体どうなるんだよーという期待と不安に包まれて、いよいよご本尊の登場です。

 ジョアンさんは、お年は召していますが、足取りもしっかりとステージに登場されました。軽く一礼され、ステージ中央の椅子に腰掛けます。そしてそれから約2時間の間、おかしな言い方ですが黙々と歌を歌い、曲を演奏されました。
 その間、一度ステージが終了して楽屋に帰り、アンコールの拍手が渦巻く中再び登場された以外は、ずーっと演奏し続けです。MCとかいう挨拶やしゃべりは一切なく、一曲演奏すると左三十度くらいの方向を向いてうつむき、拍手がやむと次の曲を歌い出す。その繰り返しです。本当に淡々としています。

 繰り返しになりますが、5千人の聴衆を前に、ギターの弾き語りだけで2時間のステージをやるというのは本当に大変なことです。私には想像もつきません。普通の人だったら緊張で気が狂いそうになるのではないでしょうか。
 しかしジョアンさんの凄いところは、そういう雰囲気を微塵も感じさせないところです。何だか、自分の部屋で練習や録音をしている、そういう情景をのぞき見しているような錯覚にとらわれます。そのくらい静かに、ささやくように歌い、ギターをつま弾きます。

 とにかく一人ですから、前奏とか間奏とかいうものは基本的にありません。せいぜい四小節程度の短い前奏の後、すぐに歌に入ります。したがってずーっと歌い続けです。オープニング曲は「三月の雨」でした。名曲です。そのほかにもワンノートサンバ、波、コルコバードなどなど、美しい曲をたくさん演奏されました。
 ギターも、よく乾いた本当に美しい音で、テンションノートを多用した複雑なコードが実に美しく響いていました。

 自分のギター伴奏に合わせて自分が歌う。誰でもやることですが、しかしジョアンさんの場合、ギターのリズムはあくまで正確に刻むのに歌はそれとは違う自由なリズムで伸び伸びと旋律を奏でる。歌のテンポは、ギターよりも2,3拍、ときとして一小節分くらい前を行ったりします。目をつぶって聞いていると、まるで他人が伴奏しているかのように感じる。本当に素晴らしいと思いました。
 大声を張り上げるわけではない。電気楽器を使うわけでもない。本当にたった一人で、ガットギター一本だけで、五千人の聴衆を感動させる力はやはり天才という他はないのかもしれません。ギタースクール仲間の海外特派員「レイコ」によれば、本国ブラジルではサンバが中心で、いまやボサノバを聴くのは五十代以上の年配者くらいとのこと。しかし我が日本では、熱狂的な聴衆が待ち続けているのです。
 ステージ終了後いつまでも続いた熱い拍手に、ジョアン様来年も来てねー、という日本人のメッセージを感じ取って頂けたでしょうか。というわけで今月の一押しは「ジョアン・ジルベルト東京公演」でした。それにしてもボサノバって、これぞ癒しの音楽!という感じで本当にいいですね。コンサート中、私の後方では思いっきりいびきをかいていらっしゃる方もいましたが、これもその人の楽しみ方かなとほほえましく感じました。つーか本音を言えば「っるせーんだよ、ほんとに…」だったかも。 

 

 


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