須田邦裕の「今月の一押し!!」
2004.06.16  今回の一押しは「天神様」だあ!


 とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ…

 どこか悲しいこのメロディ。子供時代の私は嫌いでした。日本の歌ってどうしてこんなに悲しいんだろう。いつもそう思っていました。母親によれば、私を抱きながら「ねーんねーんころーりーよー、おこーろーりーよー」と子守歌を歌うと、赤ん坊の私はぽろぽろ涙を流したそうです。自意識がないころから私は短調の曲が苦手だったんですね。「神田川」が好きになれないわけだ。話はすぐに脱線してしまいますが、冒頭のとおりゃんせの歌、子供時代には歌詞に出てくる「天神様の細道」が何を意味するのか、考えたこともありませんでした。

 同じく子供のころ。梅干しをかじった後、堅い種を奥歯でギリギリ噛んで割って、中から出てくる白い身をよく食べました。そのとき「あ、天神様が出てきた〜」と必ず言ったものです。なぜだか分からないままに。

 天神様。菅原道真(すがわらのみちざね)。学問の神様。東風吹かば。梅干し。左遷。雷神。たたり…
 これらの言葉は、私の心の中に漠然としたあるイメージを形成していました。しかし、そのことについて正確な知識を得たことはなく、何となくうろ覚えで悲劇の主人公を思い描いてきました。ところが先日思いがけずそのイメージを明確なものとするチャンスに恵まれましたので、今回はそのお話を少し。

 それは某ハウスメーカーの会合での出来事でした。そのメーカーで家を建てた人だけが集まる素敵な会があり、私もメンバーに入れて頂いているのですが、当日は会員のお一人で日本大学教授の鈴木哲先生が、「日本の怨霊」というテーマで一時間ほどご講演下さいました。タイトルだけでもワクワクものですが、お話の内容は予想を遙かに上回るアカデミックで面白いもの。一生懸命メモを取ったので、皆さんにもその一端をご紹介しましょう。多少記憶の怪しいところもあるかもしれませんが、ご容赦下さい(鈴木先生のお話の事実関係を確認するため、「人物叢書 菅原道真」坂本太郎著、吉川弘文館発行 を参考文献としました)。
 
・「学芸」大学という言葉があるように、昔は学問も天皇を喜ばせるための一つの芸であった。そして武芸が上、学芸はその下ということで、源氏・平氏を中心とする武士に比べて、学者は一段低い扱いを受けた。

・菅原道真は、代々続く学者の家系に生まれ、その聡明さは外国にも聞こえ、最後は右大臣にまで出世した。しかも子供の結婚を通じて天皇家と縁戚関係になるなどしたため、その繁栄ぶりが周囲の恨みを買った。

・歴史上、人々が骨肉の争いを演じた背景には、皇位継承争いの激化、貴族間の政争激化などいくつかのパターンがあるが、菅原道真は文人貴族が門閥貴族に破れた典型的なケースであり、西暦899年に右大臣に任命されたわずか2年後の901年に太宰権帥に左遷され、その2年後の903年に太宰府にて病死した。

・左遷の直接的理由は、道真が権力を振るうあまり現天皇を廃して自らの姻族に当たる皇子を世継ぎにしようとしたという謀反の嫌疑であるが、それが事実であるかは必ずしも明らかでなく、むしろ道真の失脚をねらう者の陰謀であったとする見方が一般的である。

・ところが道真を失脚させた藤原時平が909年に39歳で死去。その前後には飢饉の年が続き、923年には皇族の一人が21歳で死去、925年にはその後継者が5歳で死去し、さらに930年には雨乞いをしていた清涼殿に落雷があって大納言藤原清貫が即死、右中弁平希世が顔を焼くという不幸な出来事が連発した。

・このような事件を背景として、道真の怨霊に対する恐れが年々強まり、ついに京都北野に道真を祭る神社が創立された。そして987年に初めて天皇が主催する祭祀が行われ、「北野天満宮天神」という名が公式のものとなった。すなわち怨霊を恐れる人々によって、菅原道真は国家の手で神格化され、天満宮という「マイホーム」を与えられたのである。

・現在、日本全国に天神様・天満宮は約2万社あるが、これは武士を祭る八幡宮を超えて全国一の数である。このような神格化が行われた背景には、安部清明をはじめとする怨霊対策のプロすなわち陰陽師の存在が大きく寄与している。

・陰陽道とは天文の知識を活用して暦を作り、気象予測などをするもので、陰陽師はいわば現代の気象庁のような仕事をしていた。また日本のエクソシストとして悪霊払いも業とし、日本には168,000もの怨霊がいるとPRしてその権勢を強めていった。因みに大リーグの松井秀樹選手の背番号55は、陰陽道では最も良い数字であり、1から10までを全部足した結果として、全世界の真実を表すものと考えられている。また数字の中では奇数が良いとされており、七五三、五重の塔など、奇数で構成されているものが多い。

・怨霊、妖怪、物怪は空想上の産物であるが、そのイメージの裏には何らかの事実、実体がある。たとえばカッパは、水資源を汚染・破壊させることへの警鐘の象徴であり、天狗や鬼などはいずれも環境破壊への恨みとして登場してきた。

・そもそも歴史に残るさまざまな史料は、その殆どが勝者が作成したものであり、弱者・敗者に関するデータは、その滅亡とともに闇に葬り去られてきた。そして敗者の立場からすれば、権力者の暴走にブレーキをかける手段としては、権力者が恐れるもの即ち「怨霊」が大きな存在であった。

・このように考えると、怨霊を学ぶことはすなわち負け組の歴史を学ぶことである。歴史は、トーナメント戦と同じで敗者の数の方が圧倒的に多い。弱者・敗者にもスポットをあてる面白さ(文化相対主義という)にも注目したい。 

 どうです。面白いでしょう。
 私はこのお話を伺って、天神様と一反もめんとぬりかべと陰陽師がみな同じところから出てきたことを初めて知りました。ゲゲゲの鬼太郎も捨てたものではないのですね。
 話は突然飛びますが、先日車を運転していて、たまたま赤信号で止まったのが、とあるお寺の境内入り口で、ふと目をやると門の脇の掲示板コーナーに「登りても 峠の見えぬ 欲の道」と書いてありました。上手いことを言うもんだなあ、とつくづく感心しましたが、正しく私たちの欲は峠を越えて下るということがなく、無限に昇り続けるもののようです。

 妖怪は、そんな私たちの心に潜む欲を戒めてくれる大切な存在だったのですね。やはり「何かを恐れる」ということはとても大切です。人間、恐いものがなくなったら何をしでかすか分かりません。事務所のみんな、所長の私が恐いくらいでちょうどいいんだよ。なーんて言っても私は大したことはありませんので本物の雷を落とすほどの力はありませんが、菅原道真公の嘆き悲しみは如何ほどのものであったでしょうか。

 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 こんなに悲しい歌はありませんね。二度と帰ってくることのない京の都を離れるときに梅に話しかける。そうか。梅の花か。梅干しの種から天神様が出てくるのはこの連想だったんだー。というわけで今月の一押しは「天神様」でした。だいたい私たち、日本のことを知らなすぎると思いません?たまには日本の歴史など振り返って勉強してみたいものですねえ… 


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